ろあとに 桜満開 宿場町

 

美作の国・津山

 

 「山また山という言葉は、この国において初めてふさわしい」

北部は中国山地、南は吉備高原に接した美作の国は、中国山地の懐に深く抱かれた地である。

「続日本紀」によると和同6713)年に備前の国から分かれて建国されたとあり、国の興りから既に1300年を越えている。

かつての美作の国の中心、国府がおかれた岡山県北東部に位置する津山市は、人口10万人余りの町である。

 

美作の国・津山

美作の国・津山

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美作の国・津山

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美作の国・津山

美作の国・津山

美作の国・津山

 

 津山駅前に建つ箕作阮甫(当地出身の蘭学者)の像を見て暫く歩くと、岡山三大河川の一つ吉井川に行き当たり、そこに架かる今津屋橋を渡ると鶴山通りが北に延びている。そこはアケードの有る今津屋橋商店街と言われる通りで、京町で東西に交差するのがソシオ一番街である。その両側には色々な商店が立ち並ぶこの町のメインストリートだ。

 

所々道端にはカッパのモチーフもみられる。

これは吉井川に生息していたとの言い伝えが有るカッパ、この地では「ごんご」と呼ばれている。

町おこしのキャラクターに成っていて、夏には納涼の「ごんごまつり」が行われると言う。

 

美作の国・津山

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美作の国・津山

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美作の国・津山

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美作の国・津山

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桜の名所・津山城址鶴山公園

 

「日本の名城」「日本さくらの名所」「日本の歴史公園」、それぞれの百選に名を連ねる「津山城址・鶴山公園」は、津山のシンボル、津山の顔、津山を代表する観光地である。

 

町中には東西に吉井川、南北に宮川と蘭田川が流れ、それらに守られているような要塞の地の小高い鶴山(標高147m)にはかつて津山城が威容を誇って聳えていた。

京都本能寺の変で主君織田信長とともに戦死した、森長定(蘭丸)、長隆(坊丸)、長氏(力丸)三兄弟の末弟である忠政(千丸)が、13年もの年月を要して築いたのがこの城で、その後この地は森家4代、松平家9代の城下町として発展した。

 

明治の廃城令で建造物や周濠は全て取り壊される中、城郭主要部の石垣は残された。

その重厚で堅固に備えた往時の面影は、その古城跡に偲ぶことが出来る。

近頃築城400年を記念して天守南東側に備中櫓が復元され、その白壁の堂々とした姿が寂しかった石垣に彩りを添えるようになった。

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

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津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

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津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

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津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

津山城址・鶴山公園

 

 

出雲街道・津山宿

 

津山は宮川と欄田川に挟まれた地に城下が広がり、そんな町中には東西に旧出雲街道が貫いていた。

宮川に架かる宮川大橋の西詰めと、欄田川に架かる翁橋の東詰めには、江戸時代にはそれぞれ大番所が置かれていた。

当時はここが城下への出入り口と成っていて、これを境に城下の内町と外町として、往来を行く人々を取り締まっていたと言う。

 

 橋を渡り「東の大番所」を抜けると道は、荒神曲りと言われているかぎ型に曲がる道に出会う。

これは城下への敵の侵入を防ぐ大曲りで、ここら辺りからが「城東町並み保存地区」と言われる通りだ。

ここには約1.2Kmの通りに沿って江戸後期から明治にかけて建てられた町屋が数多く残されている。

町並みは街道を挟むように立ち並び、町屋は互いに壁同士を接し、あるいは柱や壁を共有して隙間なく連なっていたと言う。

そんな町屋は街道の側溝ぎりぎりに建てるのが通例とされていたため、一階の庇の位置が隣と同一となり、高さも同じなため良く揃い結果として「庇が長く連続する景観」が独特で、この地域の特異な特徴となっている。

 

旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

 

旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

 

白壁や格子窓の美しい町屋が軒を連ねる通りには、火の見櫓が印象的な「作州城東屋敷」が有る。

復元した江戸時代の町屋で無料休憩所に成っていて、ここでは寅さんの最終作のロケも行われている。

江戸時代に建てられた旧梶村邸(城東むかし町屋)や、幕末期に洋学者として活躍した「箕作阮甫旧宅」、「津山洋学資料館」など通りには見所が多い。

そんな通りからは南北に、栴檀小路、関貫小路、大隅小路などと、それぞれに名前が付けられた13本もの小路が延びていて、それらは往時の姿そのままを留め見どころの一つとなっている。

 

また市のメインストリートを挟んでその西側は、「城西界隈」と呼ばれる狭い道の入り組んだ地域で、藩士の武家屋敷や、戦時に備えて寺院を集めた寺町として栄えた一帯だ。

旧出雲街道沿いには、森家の菩提寺で歴代藩主が眠る「本源寺」や、津山の総鎮守として日本三大神輿が知られる「徳守神社」など、17もの寺が甍を連ねていて、城東界隈とはまた異なった町並みの風情が郷愁を誘う。

西側を流れる蘭田川に架かる翁橋は、西の城下の出入り口で、ここにも江戸時代番所が置かれていた。

 

旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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旧出雲街道・津山宿

旧出雲街道・津山宿

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津山藩別邸・衆楽園

 

 お城の北側には旧津山藩の別邸庭園であった「衆楽園」が残されている。

南北に長く作られた庭園でその敷地の大半を大きな池が占めていて、それを巡るように小路が造られた回遊式の庭園である。

ここは藩の謁見の対面場、やがては藩主の隠居所として使われたところだ。

 

庭園はよく整備されていて、手入れの効いた植栽が所々にあり、池の傍には東屋や、茶室などが建ち、再現された余芳閣、迎賓館、風月軒などが周りで彩りを添えている。

春は大しだれ桜、夏は大池の睡蓮、秋は園内いたるところに植えられた紅葉、そして冬は厳しい津山の地らしく凍った池と雪景色、このようにここでは四季折々の自然の移ろいが見るものを楽しませてくれる。

 

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

 

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

 

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

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津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

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津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

津山藩別邸・衆楽園

 

 

出雲街道はこちら

 

 

■交通案内

 

■ JR津山線津山駅下車(山陽本線岡山駅から津山線の快速で約70分)

     津山城址     津山駅から、北に 0.8Km

     作州城東屋敷   津山駅から、北東に1.5Km

     衆楽園      津山駅から、北に 1.9Km

     徳守神社     津山駅から、北西に1.4Km

 

 

 



 

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