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白壁が 川面に映える モダンな町
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江戸時代 幕府直轄の天領地
白壁・海鼠壁の倉敷 美観地区
蔦の絡まるアイビースクエア
近代名画の大原美術館
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先人の 知恵が救う 城下町
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弥生後期の稲株痕跡・水田跡
先人達の生活跡は 江戸の世に
城下を救う 旭川の放水路に
津田永忠の大事業 百間川が民救う
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弁柄で 栄華極めた 赤い村
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山深い 備中の山間に
忽然と姿現わす赤い町
弁柄で 栄華を極めた吹屋の町
今に残る町並は 一見の価値あり
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学生で 賑わう町に 植物園
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市内の外れに 三野の観音・法界院
昔ながらの 信仰篤い七番札所
嘗て師団の駐留地 今は学生の学びの場
植物園は憩いの場
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師の郷に 救いを求め 寺を建つ
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ああ無情 救いを求めて 師の郷に
源氏の武将・熊谷直実が 仏門に
法然生まれた故郷に 寺を建つ
久米南町の誕生寺
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着物着て 見上げる石段 雛めぐり
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山陽道の宿場町 瀬戸内海の良港は
昔の交通要衝地 鉄道廃線
今は寂れて人も減り
思いついた町おこし おひな様が町救う
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安らぎと 花と仏と 寺めぐり
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山陽花の寺に出かけてみませんか
四季折々の草花と 御仏巡る寺巡り
岡山県下に 八ケ寺あり
中国路辿れば二十四の霊場巡り
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山伏の 伝統今は パワスポに
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奈良から続いた 神仏習合の新熊野権現
明治の分離で 五流尊龍院と熊野神社に
今 寺は修験道 山伏の総本山
神社と供にパワースポットに大変身
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真備公が 文化伝えし 遣唐使
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地方出の豪族が 遣唐使として海渡り
日時計・楽器・囲碁持ち帰り
律令国家で 国造りに貢献す
吉備真備 ゆかりの地を巡ってみる
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ジーンズで 昭和の活気 取り戻し
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昭和の時代 味野商店街は賑わっていた
時代の流れと供に 気が付けば・・・
再び活気を取り戻そうとの熱い思い
児島ジーズストリートは誕生した
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伝統の 本陣・ゆべしが 息づく町
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倉敷の奥座敷 矢掛は旧山陽道の宿場町
今でも当時を偲ばす町並が残る
特に本陣と脇本陣が残るのはここだけだ
天璋院篤姫にも愛された柚餅子を食べに
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昔には 水の争い 今はなく
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岡山三大河川の一つ 高梁川
その河川改修工事により誕生した公園
「水」と「桜」をテーマにした空間
特に桜の頃 配水池を巡るのがお勧めだ
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総社は 総社宮と パンのまち
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製造出荷額は 岡山県では第一位
総社はパンの町として知られている
ご当地パンもある パンワールド
パンを片手に町巡り
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工業県 煉瓦で支え 百余年
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県境の船坂峠の下 宿場町三石は
明治に入ると蝋石で石筆の生産を始めた
その後耐火煉瓦製造を始め 今では主力
その面影は鉄道遺跡に見る事が出来る
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清麿を 守った^ 崇められ
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「道鏡事件」で大隅国へ流された
和気清麻呂救う 三百頭の^の群れ
以来 ^は 清麿公の随身に
足腰の守護として 神に崇められ
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神撃たれ 戦になるか 5・15
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江戸時代 藩主が整備した街道の一つ
庭瀬往来には 城跡や何所か懐かしい
町並が今も残されている
犬飼毅(木堂)の生まれた町である
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干拓で 出土した玉 地名となり
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瀬戸内海の島々が 干拓事業で新田に
湊も出来て 北前船の寄港地に
昭和の残る町並は 思わずカメラで一枚
ノスタルジーな町 玉島を歩いて巡る
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江戸の世に 永忠造る 大庭園
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藩主の安らぎの場として造られた
後楽園は 三ツ星評価の大名庭園
仰ぎ見れば 黒い板張り金烏城
不等辺五角形 不思議な形の天守閣
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山里に 庶民の学校 閑谷校
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藩主・光政が 津田永忠に命じ
備前の山の中に 庶民の学校建設す
備前焼で葺かれた大講堂 今は国宝に
特別名勝 旧閑谷学校を訪ねてみる
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温羅と吉備津彦 昔々の 物語
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犬・キジ連れて、吉備津で構える桃太郎
鬼ノ城で 向かえる鬼は温羅と言う
激戦続くも温羅負けて 吉備津神社の
釜の下 昔々 桃太郎と温羅の物語
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早春を 香りで知らす 香告草
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備前平野に春の訪れを告げる
梅の花が咲く公園を訪ねて見る
神代梅の里 神崎梅林 山麓窯
後楽園等々
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はる爛漫 はれのくにに 桜咲く
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晴れの国 岡山に相応し
春爛漫 桜の名所を訪ねて見る
旭川さくらみち 鶴山公園
宗堂さくら等々
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両参り 厄除け参詣 ご利益倍増
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児島の厄除け大権現(由加山蓮台寺)
四国は讃岐の金比羅さん
庶民の願いは両参り
嘗て四国は 児島からの船渡し
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雛めぐり 歴史ふれあい 陣屋町
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豊臣秀吉所縁の陣屋町
町人町の落ち着いた佇まいの残る町
幕末の蘭学者・緒方洪庵の生誕地
今雛めぐりで 町おこし
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フジ色に 棚染上げる 紫草
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初夏の気配を運んでくれる
岡山フジの名所を訪ねて見る
渋川公園 和気藤公園
倉敷阿智神社
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あっと息 呑み込む 花の大絨毯
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海を埋め立てた広大な笠岡湾干拓地
道の駅周辺に広がる花畑
春は菜の花からポピーに
夏はひまわり 秋にコスモス
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水門で 水位整え 舟通す
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江戸時代に開かれた 灌漑用水
吉井川と旭川を結ぶ人工の運河
水位差を調整する調整する閘門式門
300年を経て今尚当時の姿を見せている
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ヤマ消えて 博物館に 様変わり
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東洋一の硫化鉄鉱を産する鉱山都市
ケーブルと鉄道による輸送路も出来
繁栄を向かえるの やがて衰退閉山へ
跡は公園と博物館 柵原を訪ねてみる
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さあ鳴らそ 幸せの鐘 三つ打て
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朝鮮の通信使を迎えた風待ちの湊
北前船の中継地として賑わった湊
今はヨットを繫ぐ 日本のエーゲ海
牛窓の幸せの鐘を求めオリーブ園へ
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参道の 屋台も楽し マムシ封じ
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旧暦の正月元旦から三日まで
福力荒神社の大祭は
故事に因んだ マムシ除けと安産祈願
期間中参道に並ぶ屋台の多さは壮観だ
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茅葺も 優し懐かし 原風景
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八塔寺山の頂近く 標高400mの高原に
突如現る 茅葺き屋根の農家群
嘗ては高野山と並び称される寺院群
廃れて今は人々の 憩いの場
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難工事 乗越え架ける 夢の橋
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凡そ10年の歳月を費やした難工事
瀬戸大橋とその足元には下津井の港
背後の鷲羽山 観光スポットは多彩
名物タコ料理に舌鼓をうつも良し
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備中を 睨む山城 天に浮く
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現存十二の天守の一つ
標高430m 臥牛山に聳える山城
雲海に浮ぶ天空の山城は特に有名
麓の高梁は城下町
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草木染 暖簾が優しく 揺れる町
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旧出雲街道の宿場町
旭川の川運 高瀬舟の発着場
白壁土蔵 格子窓の商家の残る町並は
暖簾が優しく揺れる町
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城跡に 桜満開 宿場町
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明治の廃城令で壊されたお城
地上45mを誇る石垣は 当時の面影を
城跡は桜で彩られ 石垣と桜が名所に
聚楽園と供に巡りたい
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剣豪も 幼き頃は ガキ大将
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作州に生まれた「タケゾウ」ガキ大将
「お通」「又八」元気な叫び聞こえそう
後には剣聖と 呼ばれた誉れの宮本武蔵
ゆかりの寺はアジサイ寺の大聖寺
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古の 吉備国しのぶ 古墳群
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古代大和国と並び称される吉備国
温暖な気候を背景に製鉄技術を持ち
巨大古墳を持つ先進地であった
吉備路には歴史浪漫が溢れている
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忠臣の 思いよ届け 院庄
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天皇を船坂峠で救わんと 待ち伏せも
道を違えて 思い叶わず館入り
忍び込んだ院庄 思い届けと書き残す
忠臣・児島三郎高徳 十字の詩
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ネズミ絵で 和尚の心 軟化させ
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辛い修行より 絵が書きたい
和尚に叱られ 縛られて
涙で描いた ネズミの絵
雪舟の寺・井山宝福寺は紅葉も見頃
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水に浮く 平城哀れ 兵糧戦
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梅雨時の雨水溜めて 城孤立
兵糧尽きて 和議進み 藩士は切腹
秀吉は 夜を 日を継いで中国大返し
歴史を変えた備中高松城
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功焦り 戦で漁民の 口封じ
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源平合戦功焦り 情報提供漁師の口封じ
凱旋領主に収まるも悔いて供養の大法要
お供え饅頭名物に 各所に残る激戦地
藤戸の町の古戦場巡り
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鬼の舞 い草の香り 錦莞莚
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嘗ての倉敷周辺地域は
岡山い草の一大生産地であった
磯崎眠亀が発明した花むしろは
錦莞莚と呼ばれ欧米に大人気であった
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わけ川は 曲がった鉄橋 高瀬舟
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熊山に謎の石組み ピラミッド
麓の川には 山陽線の曲がった鉄橋
ビール工場も立地する 万富は
嘗て 東大寺大仏殿の瓦焼場
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渓谷美 山はくれない 紅葉燃え
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秋の野山を彩る紅葉
岡山の紅葉の名所を訪ねて見る
吉備高原の豪渓
美作三湯の一つ 奥津温泉と奥津渓
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倍返し 願いかなって 牛の山
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田倉牛神社大祭は 善男善女で大賑わい
備前焼の牛を手にしてお参りし
願掛け牛を持ち帰り 自宅の奉り一年後
願いが叶えば 倍返し
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殿様も 庶民も通る 美作路
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出雲の殿様 参勤交代でお通りは
出雲往来と呼ばれた 出雲街道
美作に七つの宿場が置かれていた
そんな街道を辿ってみる
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ランドセル 木造校舎 木の香り
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日本でも屈指 優美な学校建築
ルネサンス様式ながら擬洋風建築は
地方大工の技術の誇り
旧遷喬尋常小学校は 国の重要文化財
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