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■旭川さくら道
日本三名園の一つ、天下に名の知れた“後楽園”の外苑を流れる旭川に沿ってその土手約1キロは、「旭川さくら道」と呼ばれる岡山市民のお花見の定番スポットである。 沿道に植えられた300本のソメイヨシノは、毎年3月下旬から4月の初旬頃に開花を迎える。 河川敷はぼんぼりや提燈で飾られ、沢山の屋台が立ち並び、夜になれば幻想的な夜桜が楽しめるライトアップもされ、桜並木が大勢の花見客で賑わう“さくらカーニバル”が賑やかに開催される。
■鶴山公園の桜
本能寺の変で討ち死にした森蘭丸の弟、森忠政が13年を費やして築いた津山城は、往時は5層の天守が聳え、巧妙に積み上げられた石垣、戦略的な城郭構造と合わせ、平山城の典型として誉れの高い名城であった。 城跡は「津山城址公園」と呼ばれ、天守が無く成った今でも市民に親しまれている。 ここには築城当時そのままの石段が現存し、全国屈指の美しい雄姿が往時を偲ばせる城址として知られている。 ここは、“日本の名城”“日本の桜名所”、“日本の歴史公園”の百選に選ばれ、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラ、オオヤマザクラなど約1000本が咲き乱れる桜の名所となっている。
■宗堂桜
日蓮宗不受不施派のお寺・宗堂山妙泉寺の住職・雲哲院日鏡上人は、時の為政者との確執から、志半ばで非業の死を遂げる。 生前住職は桜を好み、参道に数十本ものヤエザクラ植え、愛でて楽しんでいた、その桜の前での法難であった。 そな住職の死を悼んださくらたちは、顔を伏せたように花弁を開き切らず、そのまま散る桜となり、その死を悲しんだと言う。 「宗堂桜」は、宗堂地区のみにあるヤエザクラの一種で、毎年4月中旬頃に、やや赤みを帯びた花をつける。 花弁の数は60枚、内側の20枚が反転したように開き切らないため、丸く膨らんだような花をつけるのが特徴で、県の天然記念物に指定されている。
■三徳園の桜
青少年の交流・研修の場、また農山村の伝統と文化的な遺産の展示施設となっている「岡山県立青少年農林文化センター・三徳園」は、広大な小鳥の森を併設した農業公園である。 園内には桜品種展示園や用水沿いの桜並木があり、約50品種400本余りの様々な桜が、3月下旬頃から5月中旬頃まで咲き誇る。 桜の他にも、県内に自生する樹木を集めた郷土樹木園、県内で作付されている農作物のふるさと作物見本園や、ツバキ展示園、広大な芝生広場なども整備されている。
■醍醐桜
山間の小高い丘の上に、威風堂々と聳える孤高の一本桜は、推定樹齢1,000年のアズマヒガン、“新日本名木百選”の一つで、県の天然記念物にも指定された、「醍醐桜」と呼び親しまれている名木である。 根元の周り9.2メートル、高さは18メートルもあり、県下では最大級だ。
その名前の由来は、鎌倉末期の頃、元弘の乱により後醍醐天皇が隠岐の島へ配流される途中ここに立ち寄り、美しさを愛でたとか、はたまたお手植えしたとも言い伝えられている。
■児島湖花回廊の河津さくら
岡山市の南部に位置する「児島湖」は、国内では最大の人工淡水湖である。 その環境整備の一環として湖の周辺や、隣接した花回廊ゴルフコースを中心とした地域に河津さくらが植樹されている。 平成19年頃試験植樹されたた苗木は、その後も毎年植樹を重ね増え続け、今では5500本を超えている。 早咲きの河津さくらは、毎年2月上旬から3月上旬にかけて鮮やかなピンクの大きな花を咲かせ、春の訪れをいち早く告げてくれる。
開花の時期に合わせ、ゴルフコース一帯では、屋台や模擬店、ステージイベント、子供向け遊戯施設などを揃えたお花見のイベントも賑やかに開催される。 まだまだ若木が多いと言うものの、植樹も引き続き行われており、これからが楽しみな河津さくらの名所である。
■新庄宿とがいせん桜
旧出雲街道の宿場町として栄えた「新庄宿」は、岡山県北部の小さな村に在る。 古くから大和と出雲を結ぶ街道で、国造や国司などの赴任で、或いは江戸時代に入れば山陰地方の大名等が参勤交代で上り下りする重要な道であり、またこの道は承久の乱に敗れた後鳥羽上皇や、元弘の変で捕らえられた後醍醐天皇が隠岐島に流される折辿った失意と絶望の道でもあった。
ここは出雲街道・美作七宿と言われる美作最後の宿場町で、この先の四十曲峠を超えれば山陰の伯耆の国へと入り込む、そんな峠を控えた山間の地でもある。 街道の道筋に当時の建物はあまり残されてはいないが、弁柄色と呼ばれる赤茶色の瓦葺屋根の建物でほぼ統一された低い平入の屋並みは美しく、旧宿場町らしい趣を醸し出している。街道の脇を流れる清らかな水路には大きな鯉が泳いでいる。
そんな「日本の音風景百選」「日本のかおり百選」にも選ばれている山里の遅い春は、4月の中頃に訪れる。 この時期になると、日露戦争の戦勝を記念して街道沿いに植えられたと言う132本のソメイヨシノが咲き誇り、「がいせん桜祭り」が盛大に行われ、大勢の花見客で賑わうと言う。
岡山県内北部ではほぼJR姫新線と同じようなルートを辿った旧出雲街道は、勝山宿出るとそれとも別れ、いよいよ中国山地越えに挑むべく新庄川に沿って北上し、途中美甘宿を経て美作最後の宿・新庄に向かう。 峠を控えた新庄宿はこれから越える旅人は英気を養い、下り終えた旅人が暫しの休憩で足を止めるなどで大層な賑わいを見せていた。 元禄の頃は47軒の家が建ち、江戸の末期には100軒余りに増えた町並みが形成され、その中には旅篭は9軒あったと伝えられている。そんな中、江戸時代末期の建てられたと言われる脇本陣「向馬場屋」が残されていて、内部は公開されている。
街道はゆるく上りながら北を目指し、宿場を抜ければ山道に転じその先には、道中の最大の難所ともいえる四十曲峠(770m)が待っている。四十とは始終の意味らしく、初めから終わりまで曲がりっぱなしの峠道を越えればいよいよ伯耆の国、日本海の潮の香りが近くに感じられてくる。
■旧出雲街道はこちら
■餘慶寺(山陽花の寺・16番札所)
備前平野を悠然と流れる吉井川、その岸辺近くにポッンと盛り上がったような標高60mほどの小高い山の上に「上寺山・餘慶寺」は建っている。寺伝によれば開基は、天平勝宝元年と伝えられている事から、この寺は1200年余りの歴史を誇る古刹と知れる。開創当時は備前四十八ケ寺の一つとして繁栄を極めていたが、一時源平戦乱の兵火を受け衰退した。 その後は次第に復興が進み、江戸時代には岡山池田藩の庇護により栄え、最盛時には7院13坊を数えたと言う。
ここは、「一山一寺多院制」の形が残された貴重の寺と言われている。 山全体を一つの寺として、境内には国指定の重要文化財である本堂をはじめ、薬師堂、三重塔(県指定文化財)、地蔵堂などが建ち並び、合わせて僧侶たちの住まいである「院」が6院も残されていて、それらで構成される県下でも屈指の大伽藍を構えている。また境内に隣接した地には豊原北島神社をはじめ、愛宕社、日吉社などの社もあり、ここには神仏習合の姿が今に留められている。
地元では「うえてら」と呼び親しまれていて、ここは県内でも有数な桜の名所としても知られている。 寺に向かう急な登り道や、広い境内に植えられたサクラが咲く3月下旬から4月上旬にはさくらまつりが行われる。 この頃になると、桜の木の下に植えられたヤマブキも黄色い花をつけ、薄桃色と黄色の競演を楽しむことが出来る。 また近年本堂周辺には、ハスやスイレンの鉢植えが並べられ、夏の頃にはそれらの花も楽しめるようになった。
■交通案内
■ 岡山さくら道・岡山市北区後楽園 ・バス 岡山駅前から宇野バス 瀬戸叉は片上行きで県庁前(10分)下車 徒歩(0.5Km 10分) 岡電バス 藤原団地行きで後楽園前(10分)下車 徒歩(2分) ・市内電車 岡山駅前から 東山行きで城下(5分)下車 徒歩(1.2Km 15分) ・徒歩 JR岡山駅下車 後楽園方面へ(1.8Km 25分)
■ 鶴山公園・津山市山下 ・マイカー 中国自動車道院庄ICから(15分) ・徒歩 JR津山線津山駅下車 鶴山公園方面へ(0.9Km 15分)
■ 宗堂桜・岡山市東区瀬戸町 ・マイカー 山陽自動車道山陽IC下車(15分) ・鉄道 JR山陽本線万富駅下車 (公共交通機関無し)徒歩(2.2Km 40分)
■ 三徳園・岡山市東区竹原 ・鉄道 JR山陽本線上道下車 (公共交通機関無し) 徒歩(3.7Km 60分) ・バス 上道駅前から宇野バス 瀬戸叉は片上行きで赤坂(5分)下車 徒歩(1.6Km 10分) 岡山駅前から宇野バス 瀬戸叉は片上行きで赤坂(30分)下車 徒歩(1.6Km 10分)
■ 醍醐桜・落合町別所 ・鉄道 JR姫新線美作落合下車 (公共交通機関無し)車(16Km 40分) ・マイカー 中国自動車道 北房IC下車 国道313号経由 勝山方面へ(12Km 25分)
■ 河津桜・岡山市南区 ・マイカー 2号線バイパス福富交差点より南へ(3Km) ・バス 岡山駅前より 両備バス 玉野渋川行き 築港新町下車 岡電バス 労災病院行き 築港新町下車 ■ がいせん桜・新庄村 ・鉄道 JR姫新線中国勝山下車 真庭市コミュニティバス新庄下車(40分) ・マイカー 中国自動車道 落合IC下車 国道313号〜181号経由 米子方面へ(50分) 米子自動車道 蒜山IC下車 北房川上線で(15分)
■ 餘慶寺 ・車 山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号等経由 約14.2Km(約30分) ・電車 JR赤穂線・西大寺駅下車 徒歩 約4.1Km 又は駅前より両備バス牛窓行(北回り) 上寺入り口下車
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