又見たい 切符ブームの あの夢を



 

■ 津山線と岡山エクスプレスつやま号

 

 JR津山線は岡山市と県北部に位置する津山市との間、58.7Km15の駅で結ぶ路線である。

開業は古く、まず中国鉄道として明治31年に岡山から津山口が開通し、その後現在の形で全通したのが大正12年のことである。

 

 かつては山陽と山陰を結ぶ連絡線として、直通の急行「砂丘」も運転されていたが、山陽本線から智頭急行線経由で鳥取に向かう「スーパーいなば」や「スーパーはくと」にその座を奪われた。今では快速「ことぶき」が、凡そ2時間おきに走っているだけのローカル線であるが、一時期この線には急行「つやま」も運行していた。

この急行列車は、その当時走っていた快速「ことぶき」とは、停車駅も所要時間もあまり変わらないのに、急行料金だけ余分に必要とあって、評判の悪かった列車で2009年には廃止されている。

 

 そんな津山線には競合する強力なライバルが存在する(していた)。

津山線は岡山を出るとほぼ旭川に沿って北上するが、そんな路線と併走するのが、岡山市の中心部から中国山地を突き抜け、鳥取県庁付近に至る延長140Kmほどの陰陽連絡道路の一つである国道53号線である。

岡山県内では県の北部と県都・岡山市を結ぶ路線として津山線が重要な位置づけにあるのと同様に、この道路もまた連絡道として交通量の多い重要な道路である。

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

 この道路を走る路線バスの運行が201312月から始まった。

中鉄北部バス、中国JRバス、両備バスの三社共同運行による「岡山エクスプレスつやま号」である。

元々ここには中鉄バスが路線を持っていたが、乗客減で一時廃止されていた。

しかし近年岡山駅前に大型商業施設がオープンしたこともあり、利用増が見込めるとして再開されたものだ。

 

一日8往復に、毎日ほぼ運行される臨時便2往復で、最短1時間34分で運行を始めた。

これはJRが対抗して走らせている快速「ことぶき」の1時間10分にはかなわないものの、普通列車とは何ら遜色がない。 

運賃はJRが片道1140円(往復2280円)なのに対し、片道1100円(往復2000円)に設定し、更に度々1乗車500円とするキャンペーン等で頑張っていた。

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

 しかしそんな方策で張り合うも、ノンストップバスのため乗降場所が限られていることや、実際の乗車時間が岡山市内の渋滞の影響を受け、乗り心地から言えばバスの方が断然優れているのに、何時しか利用客は減少し運行会社の撤退もあり、気が付けば今では一社のみの運行となってしまった。交通渋滞に左右されず所要時間が安定する鉄道が、より多くの人々の支持を得たようだ。

 

 

■ 津山線のおめでたい駅

 

かつて鉄道切符が一大ブームになった時期があった。

北海道広尾線(既に廃線)の「愛国駅」から二つ隣の「幸福駅」行きの切符が、「愛の国から幸福へ」として人気となり、これに端を発した旧国鉄の切符ブームに沸いたのは、1975年頃の事である。当時は4年間で、1,000万枚以上も切符が売れたと言う。

そんなブームは岡山県下にも飛び火して、山陽本線の万富駅では万の富にあやかろうと言うフアンが、入場券を買い求めに大勢訪れ、普段なら年間でも200枚程しか売れなかったものが、この年は一日平均100枚、一日の最高が300枚も売れた事があったそうだ。

 

万富駅

万富駅

万富駅

 

当時はそんな流れがこの津山線の沿線にも及び、幸を求め、福にあやかろうと、それらの入場券を求める人が多く集まったと伝えられている。どういう訳か津山線の沿線には、縁起のいい文字が含まれた駅名が多いからだ。

金の川「金川」、福が渡る「福渡」、神様の目「神目」、法然上人の生まれた地「誕生寺」、亀は万年の「亀甲」などが有り、そんな駅々に因んだのか、極めつけはこの路線を走る唯一の快速が「ことぶき」である。

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

JR津山線

JR津山線

JR津山線

 

しかしそんなブームは何時しか去って行き、気が付けば駅の窓口に駅員の姿はなく、券売機が置かれ、それで買う軟券の入場券では何とも味気ない時代に成ってしまった。近頃では、節目にイベントに呼応したりして時折販売される切符が人気だといい、2018年にJRが津山線開業120周年を記念して、岡山、法界院、金川、福渡、弓削、亀甲、津山の七駅の入場券(硬券)をセットにして売り出したのは記憶に新しい。

 

 

 金川(かながわ)駅

 

 岡山県中南部の御津(みつ)は、旭川中流域に位置し、江戸時代には岡山藩家老の陣屋が置かれ、また津山街道の宿場町として、或は旭川水運の川湊として栄えた町である。

そんなかつての御津郡御津町(現在は岡山市北区)の中心駅として利用されてきた金川駅は、津山線(当時は中国鉄道)の開業と同時に設置され、今でも列車の行き違いが出来る、相対した2面のホームに2線を有している駅である。

 

 平成172005)年に改築された駅舎は、RC構造(鉄筋コンクリート構造)で、コンクリート剥き出しの外壁が、無機質な感は否めないが、入口上に設けられた赤い半円庇のアクセントが引き立っていて、何とはなく可愛らしさが感じられる。

この地区の人口は1万人弱であるが、同線の途中駅の中では、法界院駅と同様で、比較的乗降客が多い。

 

金川(かながわ)駅

金川(かながわ)駅

金川(かながわ)駅

 

金川(かながわ)駅

金川(かながわ)駅

金川(かながわ)駅

 

 

 福渡(ふくわたり)駅。

 

 「行こか岡山、戻ろか津山、ここが思案の深渡し」

津山(美作国)と岡山(備前国)の国境に位置するこの地は、歌にもうたわれた津山街道の「深渡し」と呼ばれる渡し船が行き来する川湊として栄えていた。

ところが、深渡しと言う呼び名では縁起も悪く好ましくないから、何か良い呼び名に変えようとなって、深渡し(ふわたし)を福渡し(ふわたし)に変えたものの、福を渡してしまうのもどうかと成り、その結果、福渡り(ふくわたり)と呼ぶようになったのが地名の謂れなのだそうだ。

 

 このように福渡駅は岡山・津山を結ぶ津山線のほぼ中間に位置する駅で、津山線開業と同時に設けられている。

単式のホームに1線と、島式のホームに2線、合計2面3線のホームを有する駅で、此処では列車の行き違いや折り返しが可能な構造を持つ無人駅である。この駅始発着の列車も運行されている。

 

福渡(ふくわたり)駅

福渡(ふくわたり)駅

福渡(ふくわたり)駅

 

福渡(ふくわたり)駅

福渡(ふくわたり)駅

福渡(ふくわたり)駅

 

 

 神目(こうめ)駅。

 

 県内でも数少なくなった町制を取る久米南町に入って最初の駅が、単式のホーム1面1線を持つ無人駅・神目だ。

全国には難読と言われる地名や駅名は数多ある。

嘗ては自領に入り込むよそ者を警戒する余り、地の者と判別する為に敢えて普通には読まず、難しい読みをしていたのだそうで、その地名が読めない者はよそ者だと警戒心を高めていたらしいが、この駅がそうなのかは良くわからない。

 

神目は花と川柳に彩られた駅である。そんな駅舎は十数段の石段の上にある。

平屋ながら、立派な入母屋風の黒瓦葺き屋根を持ち、壁は上半分が白漆喰(のような)、下半分が木目調の板張りである。

同線でよく見る他の駅とは若干趣が違い、一見すると寺の堂宇か民家の母屋ようにも見える。

それは開業が昭和3年と比較的新しい駅で、平成に入り改築されたからだと言う。

向かい側には嘗てのホームが草に埋もれて残されているが、最早目を凝らさないとそれとは認められない程の荒れようである。

 

神目(こうめ)駅

神目(こうめ)駅

神目(こうめ)駅

 

神目(こうめ)駅

神目(こうめ)駅

神目(こうめ)駅

 

 

 誕生寺(たんじょうじ)駅。

 

今なお町制を取る久米南町にはJRの駅が三つ有る。

その中で一番北に位置し津山に近いのがこの駅で、ここは浄土宗の開祖・法然上人の誕生した地であることから、それがそのまま「誕生寺」という駅名になっている。

 

JR津山線の前身、中国鉄道本線の開業した明治311898)年に営業を始めている。

嘗ては列車交換の出来る相対式の2面2線のホームを持った駅であったが、今では1面1線の単式ホームだけの小さな無人駅となっている。そんな駅のホームの名所ガイドには、「誕生寺・・・浄土宗の開祖法然上人誕生の地に立つ御影堂、山門は国の重要文化財 北西へ0.8Km」と有る。

 

駅舎の外観は一見すると当時の姿を良く留めているように見え、歴史的な価値が有りそうに思えるが、内部はかなり手が入れられた様子で、腰板、壁板等の多くは張り替えられ、戸や窓にはアルミサッシが使われているのがとても残念である。

また向かい側の、使われなくなって草むした姿で残されている嘗てのホームにも一抹の寂しさが感じられる駅である。

 

誕生寺(たんじょうじ)駅

誕生寺(たんじょうじ)駅

誕生寺(たんじょうじ)駅

 

誕生寺(たんじょうじ)駅

誕生寺(たんじょうじ)駅

誕生寺(たんじょうじ)駅

 

 

 亀甲(かめのこう)駅。

 

 亀甲駅は岡山から津山線に揺られる事1時間余りで、快速「ことぶき」も停車する駅である。

珍しい駅名が評判ではあるが、この駅をさらに有名にしているのはそのユニークな形をした駅舎である。

 

 それはまさに見たまんま、カメそのものである。

赤いスレート葺きの屋根は甲羅模様に造られていて、そこから巨大な亀の頭(顔)がニューッと突き出している。

眼の部分に時計がはめ込まれていて、口角の少し上がった口元は、笑っているようにも見受けられる。

見ようによってはグロテスクでもあり、顔の水玉模様が可愛くも有り、キュートでもある不思議な造形だ。

 

 およそ20年前、当時の町が町制40周年の記念事業として建てたもので、駅舎は今も町の所有となっている。

内部にはコミュニティースペースが有り、カメの甲羅様のテーブルが置かれている。

町の観光物産情報と供に、利用者が持ち寄った色々なカメグッズも置かれ、本物のカメもコンテナで飼われている。

 

駅の近くに建つ役場の駐車場脇には、亀の甲羅に似た岩が有る。

うっかりしていると見過ごしてしまいそうな、何もない平坦地に突然盛り上がるように居座る岩は、見様によっては異様な光景にも感じられる。昔旅人がこの地で倒れ、それを哀れんだ村人が埋葬したところ、蒼い月の夜、巨大な岩が弘法大師の像を背に乗せてせり上がった。それがこの岩で、その姿が亀の甲羅に似ていたので「亀甲岩」と呼ばれ、それがやがて地名として使われるようになったと伝説は伝えている。


 

亀甲(かめのこう)駅

亀甲(かめのこう)駅

亀甲(かめのこう)駅

 

亀甲(かめのこう)駅

亀甲(かめのこう)駅

亀甲(かめのこう)駅

 

 

■ 文化財の駅・建部

 

 津山線は金川を過ぎると車窓から旭川の本流は遠ざかり、変わって支流の宇甘川が寄り添って来るが、それもすぐに遠ざかり、再び本流が近付いてくると建部(たけべ)駅に到着だ。相対式2面2線のホームを持つ駅で、無人駅である。

駅の周りは山や田畑の緑が取り囲み、民家もまばらで、駅前の通りにも店舗もさほど多いわけではなく、静かである。

映画「カンゾー先生」のロケ地としても知られるが、ここでは駅舎をぜひ見てみたい。

 

駅は津山線開通(当時は中国鉄道本線)の二年後、地元からの請願で、多くの寄付金を集めて設けられたものだ。

駅舎は明治33年開業当時のものが残されていて、平成18年には、国の登録有形文化財に指定されている。

駅舎の横には、当時建てられた木造の駅員宿舎も残されていたと言うが、数年前には取り壊されたらしいのが残念だ。

 

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

 

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

 

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

 

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

建部(たけべ)駅

 

赤茶色のセメント瓦が葺かれた切り妻屋根、板張り塀と一部漆喰塗の壁の木造の建物だ。

基礎は花崗岩の切石を廻している。屋根は当時のものは葺き替えられているようだ。

建物の窓枠や戸は昔のままのガラスの嵌った木製で、改札口も恐らく木製の物が有ったであろうが、今は既に取り払われていて、両方に開かれた広い出入り口が開放的である。

 

建物内部の直線的に並んだ出札窓口や、手荷物用の窓口カウンターも昔のまま、木製のベンチも懐かしく、磨き込まれた木肌が良い味を出して残っている。

何よりも入口に架かる手書きの駅名標は、古い駅舎に良く馴染んでいる。

その横の軒下から突き出ている渦巻き状の金具は、国旗の竿を固定する金具で、当時のものらしい。

 

 

■ 津山口駅

 

 『英国製の940形式タンク車が、勢いよく煙を吐きながら、ピィーッと甲高い汽笛を鳴らしステーションに到着した。

「ばんざい」の大歓声と、打ち上がる歓迎の花火。津山駅の歴史の幕開けである。』

当時の新聞が津山線開通の日の様子を、このように報じたと今日に伝えられている。

 

 明治5年に新橋と横浜間に日本で最初の鉄道が開通すると、時の政府は富国強兵を推進するため、その基盤となる鉄道の建設を推し進め、全国のネットワーク化を急いだ。

ここ岡山県では最初の山陽鉄道が明治24年に開通し、その7年後の明治311898)年には当時の岡山市と津山の間に中国鉄道本線を開業させている。対面式2面3線のホームを持ち、その地位は現在の津山駅が開業を始め、この駅が津山口駅と改称される大正(1923)年まで続く事になる。

 

津山口駅

津山口駅

津山口駅

 

津山口駅

津山口駅

津山口駅

 

今では単式ホーム1面1線を持ち、粗末な待合室を兼ねた小さな駅舎だけの寂れた無人駅である。

広い駅前にも見るべきものは何もなく、当時の面影は、現ホームから向かい側に立つ住宅との間の、雑草に覆われ隙間からホームの跡、僅かな石段などが見て取れるのみである。歴史を刻んだ駅の末路としては余りにも寂しい。

 

 津山口駅を出ると、間もなく津山線の終着駅津山である。

ここは新見と姫路を結ぶ姫新線の重要な中間駅であり、東津山を始点とする因美線の全列車が始発着とするため乗り入れる等、重要なポイントになる駅である。

 

津山口駅

津山口駅

津山口駅

 

津山口駅

津山口駅

津山口駅

 

津山口駅

津山口駅

津山口駅

 

明治政府による富国強兵政策を経て、やがて鉄道はその黎明期を迎えると、山陽と山陰の中間の中国山地に位置する津山は、三次駅や新見駅と共に交通の重要な結節点となる。

当時の揺るぎのない繁栄ぶりは、今に残された駅の広大な敷地や、そこで今尚現役で働く数々の施設や、今は稼働を終え鉄道の近代化遺産と成り残された数々のものに色濃く偲ぶことが出来る。

 



 

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