学生で 賑わう町に 植物園



 

■ 法界院駅

 


JR津山線の前身中国鉄道本線が、岡山市駅と津山駅(現津山口)の間で開業したのは、明治311898)年のことだ。

当時の岡山市駅は、現駅の北500m程のところ(現在の南方跨線橋の南辺り)に有り、津山までは、2時間30分の所要で、三等運賃は53銭であった。その後路線が延伸され山陽鉄道の岡山駅に乗り入れ、市駅が合併・廃止されるのはその6年後の事である。

 

 岡山駅の10番乗り場を離れた津山線の列車は、当駅に乗り入れる6路線の列車を捌く、広大なヤードを見ながら東進する。

この辺りに、かつての中国鉄道岡山市駅が有ったとされるが、その面影はどこにも見ることが出来ない。

その先で国道の跨線橋を潜り、山陽本線や新幹線の高架と分かれると、まだ市街地の賑わいが残る「法界院」駅に到着する。

 

「法界院」駅

「法界院」駅

「法界院」駅

 

「法界院」駅

「法界院」駅

「法界院」駅

 

明治361903)年、岡山市駅の次の駅として、お寺の山門近くに仮停車場が設けられるが、その5年後にそこから1qほど離れた現在の場所に、簡易停車場扱の形で移転開業すると仮設駅は閉鎖された。

そんな簡易停車場は更に5年の歳月を経て、ようやく駅に昇格することになる。それが今日の法界院駅である。

今では古の面影をとどめる木造瓦葺きの駅舎が有り、1面2線島式の広いホームを持つ地上駅だ。

 

明治時代の後期この付近には、旧日本陸軍第17師団が駐屯していて、その兵員や物資などの移送を担ったのが当駅で、駅への昇格はこのことと無縁ではなさそうだ。

この師団が置かれたのは明治401907)年の事で、歩兵第三十三旅団司令部も合わせて置かれていた。

翌年三月に行われた開庁祝賀会は「師団に通じる各街路には余興の催し物もあり付近の見学客は、毎列車満員で、市内は群衆の山をなした」(「ふるさとの想い出 写真集岡山 昭和53年 国書刊行社)当時の地元新聞は、簡易駅の賑わいをこう伝えている。

 

法界院

法界院駅

法界院

 

法界院駅

法界院駅

法界院駅

 

法界院

法界院

法界院

 

法界院駅

法界院

法界院

 

 現在では自衛隊が駅の北方2qほど、笠井山の麓に三軒家駐屯地を構えている。

また周辺には、岡山商科大学や岡山理科大学、その付属中学・高校や、市立中学校等が立地し、朝夕は通勤のみならず、通学利用の多い学生の町でもある。その為津山線を走る数少ない快速の停車駅である。

又、朝の通学時間帯には、岡山から僅か2.3qしかないのに、この駅止まりの列車も運行されている。

 

 

■ 神宮寺山古墳

 

 法界院の駅を出て右に折れ、踏切を渡り車の行き交う県道を越え、500m程行くと市街地の住宅街のど真ん中に、国の史跡に指定された「神宮寺山古墳」がある。

標高20mに満たないこんもりとした丘に築かれた前方後円墳で、全長約150m、後円部の高さ約13m、径は約70mの三段築成、前方部の長は75mの二段築成である。巨大な古墳が数多く知られる吉備地方に有って、この墓の規模は十指に入る。

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

 現在では前方部の大部分は開発され墓地に転用され、真新しい現代人の墓が林立している。

後円部の頂付近には天計(あまはかり)神社が建立されていて、全容を伺い知ることは出来ないが、丁度その辺りが中心埋葬地に当り竪穴式石室が有ったと言い、その蓋石と思われる石が露出していて観察することが出来る。

 

 葺石が施され埴輪が建てられた墓からは、刀や剣などの武器の他、鍬や鎌、斧、鋸の鉄製工具など多くの副葬品が出土している。

そのことからこの古墳は、4世紀後半から5世紀前半にかけて、この穏やかな気候で、広く実りの多い岡山平野を、大きな力を持って統治した大首長の墓では無いかと考えられている。

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

神宮寺山古墳

 

全国に数多ある古墳の墳丘は盛り土によって築かれているが、その盛り土の様子を伝える資料はほぼ無いに等しいそうだ。

僅かに「人々を連ね立てて、川の礫を運び 伝え上げて墓山を造った」という記述が播磨風土記に有るそうで、これは墳墓の外側を覆う葺石の作業を伝えるものだと言われている。

 

一帯はすぐ横を県下三大河川の一つ旭川が流れ、その川の西岸にあたる高低差のない平坦な沖積平野である。

この墳墓の葺石も旭川から、人を連ねて運び上げたものなのか・・・と、想像が広がる。

墳丘からはその旭川など岡山市街地が一望できる。

 

 

■ 金剛山遍照寺法界院

 

法界院の駅名の由来になっている真言宗のお寺「金剛山 遍照寺 法界院」は、今では駅前から線路に沿って北東に1.3Km20分ほど歩く事になる。市街地に近い標高80m程の小高い山の中腹に有る寺は、天平年間に報恩大師の開創と伝わる古刹で有る。

地元では、「三野の観音さん」と慕われる、中国観音霊場第五番札所であり、百八観音霊場第七番札所だ。

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

入母屋瓦葺の重層八脚の山門(仁王門)は、県下でも屈指の規模を誇り、その姿は勇壮・重厚で、風格を滲ませている。

天井には、クジャクや、鳳凰、竜などが見事に描かれていて、見応えが有る。

門を潜ると石の階が延び、それを登った先には簡素な作りの二天門が建っていて、豪華な山門との対比が面白い。

境内から更に石段を登った正面に安政二年建立の本堂が、その右にお大師堂更に立派な石垣の上に一際高く鐘楼が建っている。

左には納経所の有る書院・客殿で建てられている。

山際とは言え、市街地近くにある割には、広い境内を持ち、樹木なども多く、よく手入れが行き届いている。

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

金剛山 遍照寺 法界院

 

ご本尊は秘仏とされる桧の一木一体造りで、高さは103.7センチの聖観世音菩薩だ。

これは一節には、聖徳太子の作とも伝えられていて、国の重要文化財に指定されている。

その脇を固める多聞天と持国天は、元々は二天門に祀られていたものらしく、何れも平安時代の藤原中期の作だ。

本堂の石段下に建つ高さ2.22mの石灯籠は、慶長年間の建立で、地元の豊島凝灰岩石で作られていて、完存する貴重な作例として県の文化財に指定されている。

 

 

■ 半田山植物園

 

 法界院の西、山続きの半田山の南斜面を利用した丘陵地に、市立の「半田山植物園」が有る。

敷地はおよそ11万平方メートルと広大で、そこには153科、628属、3,200種、約15万本もの植物が植えられている。

 

 梅林、紅葉園、椿園、ツツジ園、ハーブ園などが整備されていて、園内の花木・草花は四季を通じて楽しめる。

入り口付近には中国の洛陽から導入した30品種350株もの「花の王」と言われる牡丹が植えられた「洛陽牡丹園」もあり、大輪の花の咲くころは見事だと言う。

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

 そんな中でもやはり桜の花の咲く、三月下旬から四月下旬にかけての頃は見応えが有る。

桜の林を中心に、園内の遊歩道沿いに植えられた桜は45品種約1,000本で、その内ソメイヨシノは800本を数え、中にはシダレザクラの巨木や、樹齢100年を超える古木も有る。

 

この半田山がピンク色に染まる桜が満開の頃は、すぐ前を走る津山線や、少し離れた山陽本線、山陽新幹線の車窓からも全景が眺められ、その美しさは旅行く人々を楽しませてくれる。

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

 開花のシーズンには桜まつりが行われ、夜間のライトアップも有り、夜間入園が出来る。

この時期に限り、園内での火気の使用が許され、花見の宴の市民も多くなる。

そんな園内の遊歩道からは、岡山市街地が一望だ。

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

半田山植物園

半田山植物園

半田山植物園

 

 元々この地には明治時代に造られた市水道局の配水池が有り、そこを利用して植物園が造られ、昭和395月に開園した。

今でも園内には、明治から大正にかけて造ら円形配水池三基、大正時代に造られた矩形配水池二基などの他、昭和に造られた配水池などがそのまま残されていて、それらを取り巻く場所が「半田山水道広場」として整備されている。

 

 

■ 岡山十勝地

 

 法界院を出た津山線の列車は、笠井山と妙見山を避けるようにその麓を巻きながら進む。

この妙見山は目の前に岡山県三大河川の一つ旭川が流れる景勝の地に有り、川に向かって突出した標高が77mほどの小さな山だ。

山頂一帯は岡山十勝地の一つ「三野公園」となっている。

 

 ここは地元出身の市議小合金光氏が尽力し開設した公園で、頂上には「岡山十勝地」の碑と共に氏の顕彰碑が建てられている。

公園内には、約800本の桜の木が植えられていて、旭川を眼下に望む桜の名所として知られていたが、近年では樹木が茂りすぎ眺望も悪く、少し荒れた感じが否めないが、桜が満開の頃の花見スポットとしては地元では人気の場所である。

 

三野公園

三野公園

三野公園

 

三野公園

三野公園

三野公園

 

三野公園

三野公園

三野公園

 

三野公園

三野公園

三野公園

 

三野公園

三野公園

三野公園

 

この岡山県十勝地というのは、昭和10年地元の新聞社が事業企画として「岡山県十傑投票」を行い、広く大衆から県内の景勝地を投票させ、その投票結果から上位10カ所を選び十勝とし、それに続く十五カ所を十五景として決めたものだ。

投票は後楽園と瀬戸内海は別格と位置づけ除外され、その他の場所から一カ所をペン又は毛筆で記入する事を求めている。

(岡山県立図書館データーベース)

 

「一ヶ月余りの投票総数は、一億二千二百二十四万三千百四十九票で、他にも膨大な無効票が有った。全体を重ねると富士山の高さの四倍強、これを縦に長く繫ぐと遠くニューヨークに達する。未曾有の熱狂裡に終了し、衆望を負うて十勝、十五景、二十秀の決定を見た。」(昭和101115日 山陽新報)とその熱狂ぶりを伝えている。

 

岡山県十勝地

岡山県十勝地

岡山県十勝地

 

岡山県十勝地

岡山県十勝地

岡山県十勝地

 

岡山県十勝地

岡山県十勝地

岡山県十勝地

 

その結果は多分に組織票も影響を与えたようだ。

一位は島から望む瀬戸内の景観が評価された日生の鹿久居島で、一千万票を越えたと言う。

二位には備前の一宮・吉備津彦神社が入っているが、この時同社は本殿以外を悉く焼失し再建中であったと言う。

三位に和気の独立丘陵・天王山が選ばれた。ここは今では周囲の開発が進み、名勝として知られた所ではない。

この三野公園は、三百六十万票余りで十位に滑り込んでいる。

 

 

■ 交通案内

 

 ■ 法界院界隈

 

    電車  JR津山線・法界院駅(岡山駅から約4分)下車

 

  ● 神宮寺山古墳    東に徒歩520m  又は岡山駅前東口から岡電バス「三野行」で「三野校前」下車

                       岡山駅前東口から宇野バス美作線で「三野校前」下車

 

  ● 金剛山遍照寺法界院 北に徒歩1.1q  又は岡山駅前東口から岡電バス「理大東門行」で「法界院参道口」下車

                       岡山駅前東口から宇野バス美作線で「植物園口」下車

 

  ● 半田山植物園    北に徒歩850m  又は岡山駅前東口から岡電バス「理大東門行」で「植物園前」下車

                       岡山駅前東口から宇野バス美作線で「植物園口」下車

 

  ● 三野公園      北東に徒歩1.4q 又は岡山駅前東口から岡電バス「三野行」で「三野公園前」下車

                       岡山駅前東口から宇野バス美作線で「三野」下車

 



 

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