そ行きも 仕事も家も 皆ジーンズ

 

ジーンズのまち・児島

 

児島はジーンズの町である。

元々岡山県は昔からアパレル製品の産地として知られたところで、学校や企業のユニフォーム、作業着、スポーツウエア、介護ウエア、子供服など、多岐にわたるユニフォーム類の生産実績は日本でトップクラスを誇っていて、中でも昭和初期の学生服はその9割が当地で生産されていた。

 

そんな地で今から50年ほど前、国産ジーンズの量産が始まった。日本におけるジーンズ生産の幕開けである。

オリジナル企画による国産ジーンズが初めて発売されたのは昭和35年、世界で初めてのウオッシュ加工技術の発明は昭和43年のことで、何れもこの地に本社を持つ企業だ。日本初の女性用ジーンズを手掛けた会社もこの地にある。

こうしたジーンズの一大生産地として発展を見た背景には、生地の裁断から仕上げ、ストーンウオッシュなどの洗い加工、脱色、ビンテージやダメージの加工など、などあらゆる技術がこの地に集積していることが有り、現在その関連企業は200社を超えると言う。

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

 

JR児島駅

 

そんな町の玄関・瀬戸大橋線の児島駅が生まれ変わった。

駅前広場から駅舎に向かうアーケード下には、無数のジーンズが吊るされ、まず訪れた人々の度肝を抜く。

構内に入ると券売機、改札窓口、観光案内所などの壁面はもとより、改札を入りホームに向かう階段には、巨大なジーンズが一面に広がっている。何れも実物を撮影・印刷したフィルムが貼られていて、駅構内がリアル感あふれるジーンズ柄で埋め尽くされている。

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

 

ジーンズストリート

 

 「古事記」の国生み神話によれば、「吉備の児島」は日本で9番目に誕生した島であったそうだ。

そんな地は河川が運ぶ土砂や干拓により陸続きになり、古くは製塩業や綿花栽培で栄える町となった。

ところが近代化が進むにつれ塩田や綿畑は次々に埋め立てられ、そこに新な住宅地を増やし、それに伴って商店街なども誕生し、さらには軽便鉄道も開通すると町は一層発展を見た。

 

そして瀬戸大橋が開通すると町にはシンボル的な建物「瀬戸大橋架橋記念館」も作られ、新たにできた瀬戸大橋線の児島駅一帯では大掛かりな瀬戸大橋博覧会が開かれ、大勢の人々で賑わった。

しかしこんな喧噪も何時しか潮が引くように収まると、太鼓橋を模した造りの「記念館」は閉館となり(現市民交流センター)、古くからの商店街からも人の流れが消え、何時しかさびれていった。

児島で最も栄えたと言われる「味野商店街」も例外ではなく、次第に商店のシャッターが目立つようになっていた。

 

ジーンズの町

ジーンズの町

ジーンズの町

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

ジーンズのまち・児島

 

そんな街の活性化に向け、「味野商店街」のレトロさを生かし、ジーンズを前面に押し立て、かつての賑わいを取り戻そうと誕生したのが「児島ジーンズストリート」である。

400メートルほどの通りには、シャッターを閉めたレトロ感あふれる旧店舗に交じって、真新しいモダンな店が三十数店舗もオープンし、オリジナリティあふれる品々を並べている。通りには着古されたジーンズによる歓迎アーチが掲げられ、「Gパンダの顔出しパネル」や、広場には面白い「デニムの木」が目を引くなど、通りのあちこちに来客を楽しませる工夫もされている。

 

 まだ歴史の浅いストリートは、年ごとに出店する店も増え、今も進化を続けている。

休日にはストリートや周辺のジーンズ工場を巡るバスも運行(一日券・大人510円)されるなど、JRの駅からもさほど遠くない(徒歩15分ほど)この町は「旧野崎家住宅」と共に俄かに注目を集めている。

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

児島ジーンズストリート

 

 

野崎家住宅

 

 野崎家はかつて製塩業で栄えた塩田王・野崎武左衛門が、天保から嘉永年間にかけて築いて民家である。

国指定の重要文化財の住宅は、今ではその暮らしぶりを伝える文化財施設として公開されている。

敷地面積が約3,000坪、建物の延べ床面積が1,000坪と言う規模もさることながら、民家でありながら御成門を構え、それが表玄関から表書院へと続く造りは、豪華で絢爛で壮麗で目を奪われる。

 

 中座敷は内玄関から続く建物で、住まいの中心をなしたものであるが、向座敷までは九つの座敷が連なり、その長さは23間、およそ42メートルにもなると言う壮大さである。

表書院の前には、江戸時代末期に造られたと言う枯山水の庭園が広がっている。四季の移ろいを感じさせる木々が植えられた庭は、しっとりとしたコケが生し、配置された大小無数の石組や茶室などと共にその年季が格調の高さを感じさせる。

 

 敷地の奥にはナマコ壁・黒板張の「商人のお城」と言われる5連の土蔵群が威容を誇っている。

裏には大勢の従業員を賄うための台所や風呂、味噌蔵や夜具蔵も有り、その背後には自然の岩盤をくりぬいた、防空壕まで造られていて当時の野崎家の繁栄ぶりが窺い知れる。

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

 

■交通案内

 

 ■ 旧野崎家住宅

    電車  JR瀬戸大橋線 児島駅下車 北へ約1.4Km

    車   瀬戸中央道 児島IC下車 北へ約3.1Km 無料駐車場有

 

 ■ ジーンズストリート

    電車  JR瀬戸大橋線 児島駅下車 北へ約0.9Km

    車   瀬戸中央道 児島IC下車 北へ約3.1Km 無料駐車場有

 

 

 



 

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