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■曲がった鉄橋
『作州和計河(ワケガワ)にてタカセ舟を見ておもへらく、百川皆舟を通すべしと、』
古くから開けていた岡山三大河川の一つ吉井川には、周匝川、和気川、福岡川などいろいろの呼び名が有ったらしい。 江戸時代初期に今日の吉井川で高瀬舟を見て大いに驚いた角倉了以は、京都の嵯峨野に帰って川浚えを始めたと言う。 (「岡山紀行今昔」富岡敬之 昭和55年・山陽新聞社)
山陽本線の下り線は「熊山」と「万富」の間で瀬戸内海に向けて流れる吉井川を橋梁で越える。 吉井川は流域にある4世紀末の古墳から舟形土製品が出土しているように、古くから川の交流が盛んで、特に高瀬舟による海運が開けたところであった。高瀬舟と言うのは全長が20mほどで、巾2m位の舟底が平らで、舳先が高くせり上がり、中央に帆柱が立った船のことで、浅瀬でも運行が出来る構造となっていた。 室町時代には上流の林野や津山あたりまでの舟便が有り、馬40頭分もの荷を積んで上り下りしていた記録が残されていて、下りが一日から二日、上りでも三から四日、上り下りすると一週間程度で有ったと言う。
この吉井川橋梁は曲がった鉄橋として、鉄道写真フアンの間では撮影ポイントとして知られたところだ。 岡山市中区生まれの名随筆家・小説家として知られる内田百閧ェ、自身の随筆集「安房列車」に『日本で唯一曲がった鉄橋』と紹介したことで、一躍有名になり以来広く知られるようになった。両岸から始めた測量にミスが有ったなどと汚名を着せられ、面白おかしく語られたりもしたが、実際のところは正面に立ちふさがる熊山にトンネルを掘るのを避け、鉄橋を曲げたものらしい。
実はこの百閧ェ紹介した橋梁は既に取り壊されていて、今の橋は山陽本線が複線化される折に新しく架けなおされたもので、その橋もやはり曲がっている。橋脚の下流側すぐ足元には、旧橋の基礎がそのまま残され、川の水量が少ないときであれば車窓からはそれを確認することが出来る。
■謎の熊山遺跡
この鉄橋の背後に聳え立つ熊山は、標高が508mで備前の国の最高峰だ。 古代吉備の国の吉井川東岸に位置し、東の隅(くま)にあることからこのように呼ばれている。 今では麓からは幾筋もの登山ルートが整備されていて、身近に気軽に登れる山として人気も高い。 ここは山頂近くにある謎の石積み遺構、「熊山遺跡」が知られている。
この石積遺構は、謎の建造物、日本のピラミッド、あるいは墳墓説、経塚説、戒壇説など様々な議論を呼んだ時期も有ったようだが、熊山周辺にはその昔から山岳宗教の寺院の存在が知られていたことなどから、今日では奈良時代前期に造立された仏塔の一つである方形壇塔との説が有力のようだ。 付近には33ヵ所にも及ぶ石積遺構が確認されているが、それらは全て築造時期が異なるらしい。それはこの地が古くから、信仰の山として栄えていたことを意味している。多くは崩れてしまっているが、その中でもよく原形をとどめ、最大の一基が国の重要文化に指定されている。
原始信仰の磐座の上に流紋岩を正方形に組み上げたもので、最低部の基壇は一辺の長さが11.7mあり、その上に一段目、二段目、三段目と組み上げ、全高はおよそ3.5mである。熊山の頂付近、森閑と生茂る木立の中に、大小さまざまな形状の石を貼り付け、組み上げて佇む姿は、何やら神秘的で崇高でさえある。
■万富東大寺瓦窯跡
曲がった鉄橋を渡り終えるとすぐに列車は万富に到着する。 ここ万富には昭和2年、国の史跡に指定された「万富東大寺瓦窯跡」がある。 平安時代の源平合戦の折、平家の南都焼き討ちで消失した奈良東大寺の大仏殿再建の勧進が行われ、その建屋などの瓦を焼いた窯とされる場所である。南北に細長い低丘陵の西斜面に窯が連続して築かれていて、これまでの調査ではすでに13基もの窯跡が確認されている。
当時この付近の伊部では、既に多くの焼き物(現在の備前焼)が生産されていたが、この地が選ばれたのは、『備前国司(俊乗坊重源)の勢力がおよび、大量の瓦や材料(薪)を生産・運搬するのに適した地として、この万富が選定された』と考えられている。 (「史跡万富東大寺瓦窯跡確認調査報告書」 2003年 岡山県瀬戸町教育委員会)
この付近は雨が少なく温暖な地で、いわゆる「瀬戸内式気候」によって、早くから農耕地として開けていて、もともと樹木に恵まれ、良質な粘土が大量に有ったことが知られており、町内からは旧石器時代の遺物も出土している。 東大寺の守護神を勧請した阿保田神社を工事全般の指令所とし、これを中心に東・南・西に各々10基、合計30基もの窯を築き、それを用いて軒丸瓦と平瓦などが30〜40万枚も焼かれたと伝えられている。
このころ吉井川は大きく蛇行し、その浅瀬が万富のこの付近まで入り込んでいた。 生産された瓦はその浅瀬から筏を組んで川の中ほどに待つ舟まで運び、それに積み変え吉井川を下り、瀬戸内海に出て大阪湾に向かい、そこから淀川・木津川をさかのぼり東大寺に送り届けられたと言う。
■切符ブーム
1975年北海道広尾線の「幸福」行き切符に端を発した旧国鉄の切符ブームは、岡山にも飛び火した。 津山線の「金川」「福渡」や、ここ山陽本線の「万富」にである。 “万に富む”と縁起のいい駅名が人気を呼んだ「万富」では、年間でも200枚程度しか売れなかった入場券が一日平均で100枚以上も飛ぶように売れ、最高は300枚も出た日が有ったそうだ。一日の利用者が数百人しかなかった駅での出来事である。
今そんな喧噪は忘れ去られ、入場券を購入する人はほとんどいない。 駅に隣接した南側にはその騒動の三年前に操業し、平成に入りリニューアルされたキリンビールの最新鋭工場が建っている。 ビオトープが併設され、自然あふれる公園のようなきれいな工場を見学すれば、出来立ての美味しいビールや、清涼飲料水の試飲も楽しめると人気だ。
■西法院(山陽花の寺・14番札所)
大瀧山福生寺「西法院」は、山陽花の寺14番札所でアジサイ寺・滝の寺として知られたところだ。 福生寺は盛時には33坊もあった大寺で、その創建は古く天平勝宝6年(754)まで遡る。唐から来朝した鑑真和上が開いたと伝えられ、国分寺を除けば国史に名を留める県内では最古の寺院である。しかし隆盛を誇った大寺も度重なる火災で衰退し、それでも明治の頃にはまだ13坊も残っていたが、今日では「西法院」「福寿院」「実相院」の3坊を残すのみとなった。
寺は山の斜面を巧みに取り入れて建てられていて、石灯籠の立ち並ぶ参道を上り、今来た道を振り返れば、向かい山の緑の中に重厚な三重塔が遠望できる。これは六代足利将軍が建立した塔で、国の重要文化財に指定されたものだ。
東備地方の最高峰・熊山への上り道の途中に位置するお寺の参道は渓流沿いの道で、その山の斜面などにはサクラやミツバツツジ、ツバキ、ジンチョウゲ、カイドウ、スイセンなどが四季を通じて咲き、訪れる参拝者を楽しませてくれる。 15品種およそ3万本ともいわれるアジサイが咲く6月中頃には、境内一円で「アジサイ祭り」が開かれる。 境内には滝が流れていて、その周辺にはモミジなどの紅葉も多く、一層の彩を添えている。 周辺は「大瀧山郷土自然保護地域」に指定され、史跡や歴史的建造物、自然環境などの文化遺産の宝庫でもある。
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■交通案内
■山陽本線吉井川橋梁 車 山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号から県道96号など経由で 約8Km 電車 JR山陽本線 万富駅下車 東へ 徒歩 約1.2Km
■熊山遺跡 車 山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号から県道96号など経由で 約20Km 山頂付近に無料駐車場有 そこから徒歩10分ほど 電車 JR山陽本線 熊山駅下車 登山道を 徒歩 約8Km
■万富東大寺瓦窯跡 車 山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号から県道96号など経由で 約6.6Km 電車 JR山陽本線 万富駅下車 北へ 徒歩 約0.6Km
■ビヤパーク岡山(キリンビール岡山工場) 車 山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号から県道96号など経由で 約6.1Km 電車 JR山陽本線 万富駅下車 南へ 徒歩 約0.7Km (駅から送迎あり:要予約)
■西法院 車 山陽自動車道 和気IC下車 国道374号〜国道2号経由 約11.2Km(約25分) 電車 JR赤穂線・香登駅下車 徒歩 約3.6Km
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