んごうも 幼き日には ガキ大将

 

西の高野山・大聖寺

 

 『武蔵は沢庵和尚の説得に自ら縛られ七宝寺の千年杉に吊るされた。

幾日も雨や風に晒され、死を恐れなかった武蔵が、生きたいと言う人間性に目覚めた。』

 

岡山県の北東部兵庫県境に近い作東地域の北東、山の中に「真言宗別格本山・大聖寺」が静かに佇んでいる。

聖武天皇の勅令により行基が開山した寺で、かつては五院十八坊の大伽藍を誇る山岳仏教・真言密教の道場で「西の高野山」と呼ばれたこともある古刹である。ここは小説「宮本武蔵」ゆかりの寺としても知られたところだ。

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

作家の吉川英治は小説「宮本武蔵」の構想を練るのに、武蔵の生誕地に近いこの寺に幾度も逗留した。

その際ヒントとなったのが、山門前に立つ美作市の天然記念物に指定された2本の大イチョウである。

生き抜きたいとの強い思いが、その後の武蔵の生きざまとなった原点ともいえる樹で、今では、これを八の字に巡ると特別な気がもらえるらしくパワースポットとしても人気らしい。

その傍らには、NHK大河ドラマの放送を記念した、「武蔵とお通」の像も日本放送協会の協力で建てられている。

 


西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

ここは山陽花の寺・24ケ寺の札所の一つとしても知られている。

幻の秘花「仙翁花(せんのうげ)」は、この寺でしか見ることのできないと言われている。

毎年夏に行われるアジサイ七夕祭りのころになると、一万坪もの広大な寺域に植えられたガクアジサイ、ヒメアジサイ、ヤマアジサイなど一万株もの多種多様な花が咲き競う。

また一万本とも言われる南天が赤い実をたわわに付け全山を紅く染上げる姿は見応えがあるという。

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

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西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

西の高野・大聖寺

 

 

山陽寺」

 

 

宮本武蔵駅

 

 作東地域は旧播磨の国境に近い旧美作の国の北東部に位置し、周辺は剣聖と言われた「宮本武蔵」ゆかりの地である。

この地域を走る智頭急行線(山陽本線・上郡駅〜因美線・智頭駅)には、そのものずばりの宮本武蔵駅がある。

このように人名がそのまま駅名になっている例は、全国的に見ても珍しいと言う。

駅は高架線上に作られた、瓦屋根を乗せた和風の民家風建物で、ここは小さな無人駅、普通しか停まらない。

一面一線の狭いホームには「作州宮本村 宮本武蔵生誕地」と書かれた武蔵の大きな肖像画が掲げられている。

高さが2メートルほどもある画で、二刀流を構える姿は剣豪の迫力満点で、晩年のもののようだ。

 

 駅舎の階段を下りると、ちょっとした緑地広場があり、そこに若かりし頃の武蔵、というよりは「たけぞう」と「お通」「又八」の像が建っている。刀に見立てたが棒切れを持って野山を駆け巡り、遊ぶ姿を模したものだが、どこからともなく三人の元気な叫び声が聞こえてきそうだ。

 

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

 

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

 

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

 

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

宮本武蔵駅

 

武蔵の里

 

宮本武蔵駅を後に旧因幡街道を10分ほど歩くと、その昔は美作の国宮本村、今日では美作市宮本(旧大原町宮本)と呼ばれる地に「武蔵の里」がある。

武蔵の生誕地はここ美作説と、自身が五輪書に明記したと言われる播磨説があるらしいが、吉川英治が小説「宮本武蔵」では当地の生まれとしたことから、その通説が今日では一般的になっているようだ。

ここでは昔から、「武蔵の生誕地」として生家跡を中心に町おこしを続けてきた。

 

 そんな町にとっての恩人・吉川英治記念碑の傍らには、町民有志の寄付金による「宮本武蔵生誕地碑」が建っている。

その右側には「宮本武蔵生家跡」がある。武蔵の父・無二斉の弟の子孫の家で、当時の建物は焼失してしまったが、その跡地には新しい家が建てられている。

記念碑の北側には宮川が流れ、その向こうには「讃甘神社」が大きな木立に囲まれるようにして建っている。

武蔵が幼少のころ遊び場としたところで、ある時この神社の祭礼を見て、太鼓を打つ撥のしぐさとそれが発する音から、二刀流を案出したと伝えられているところだ。

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

 その前にあるのが「武蔵の里 五輪坊」である。大きな鯉の泳ぐ池を中心とした回遊式の日本庭園を持つ宿泊施設で、源泉かけ流しの温泉入浴施設も備えている。館内のロビー前には「武蔵資料館」(有料)があり、直筆の「達磨頂相図」や、自作の「鍔」をはじめ、ドラマ作成の折使用された衣装などが展示されている。

 

敷地内には高さ5.6mの二刀流を構えた「青年期宮本武蔵像」が有り、その横には、広大な剣道場「武蔵道場」が建っている。

武蔵の里らしく、高校や大学、実業団など武道関係の合宿利用も多いらしい。

NHK大河ドラマで「宮本武蔵」の放映中は、この像の前で武蔵と小次郎の決闘シーンが、町の有志により演じられていたが、ブームの去った今ではさすがにそれはない。

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

 生家跡の前には旧因幡街道が通っていて、それをそのまま南にたどれば、道は緩やかな登り道に転じ、峠に向かう。

途中「武蔵神社」があり、ここの武蔵の墓には分骨が祭られていると言う。

更にその先には、武蔵の竹馬の友・森岩彦兵衛や本位田外記之助などの墓も有る。

 

峠下の鬱蒼とした木立の中には、銭一貫を出しても飲みたいおいしい水と言われる「一貫清水」が、コンコンと湧き出ていて、峠を行き来する旅人の喉を今も潤し続けている。

ここは少年武蔵が母のもとに何度も通った道であり、修行の旅立ちの折には彦兵衛と別れを惜しんだ場所でもある。

ここをさらに上り詰めれば街道の要衝鎌坂峠で、下れば母のいた平福の宿場町である。

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

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武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

武蔵の里

武蔵の里

武蔵の里

 

 

■交通案内

 

 ■大聖寺

   中国自動車道 作東IC下車 国道179号〜県道5号経由 約15Km(約25分)

   JR姫新線・美作江見駅下車 又は 智頭急行線・佐用駅下車 タクシー

 

■宮本武蔵駅

   JR山陽本線・上郡駅から智頭急行線で同駅下車 (普通約50分)

 

 ■武蔵の里

   智頭急行線・宮本武蔵駅から 700m(徒歩約10分)

 

 

 



 

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