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■倉敷美観地区
江戸は寛永年間、幕府の直轄地である天領となった倉敷は、その町中を流れる倉敷川の水路を利用した、物資の一大集積地として発展し、川沿いには、米穀問屋、綿花問屋、砂糖問屋、肥料問屋などの倉庫が建設された。
このため、倉敷川周辺には、多くの人々が集められた。 水路、船を操る船頭、荷降ろしをする人、その荷を陸路大八車で運ぶ人、それらの人々を目当てに、食事や宿を提供する人びとなどで大そう賑わったと言われている。 そんな当時から、明治、大正、昭和の初期にかけての建物群が、その頃の面影を色濃く残し、町並みを形成したまま残っている倉敷美観地区は、柳の並木や色濃い緑の優しい、心和むところでもある。
倉敷紡績二代目社長大原孫三郎が別邸内に開館した大原美術館は、我が国初の西洋美術館で、そのデザインはローマの建築様式を取り入れており、薬師寺主計が設計した。
当時、西洋名画の購入を願い出たのは、友人として支援をしていた洋画家・児島虎次郎であった。 孫三郎はそれを許し、それを受けて虎次郎は、ヨーロッパにおいて約100点のコレクションを収集した。 その名画の数々を、一般公開する目的で開館したのがこの美術館で、昭和5年のことである。 それらはエル・グレコ、ゴーギャン、モネなどなど、作品は超一級で、見応えがある素晴らしい作品揃いで有る。
岸辺の柳が風に揺れ、川面に白鳥が姿を映す倉敷の町。 美観地区を貫く倉敷川は、主に物資の舟輸送用に掘られた源流を持たない川で、丁度大原美術館前あたりから、瀬戸内海に面した児島湾まで通じていた。 かつて大量の荷物輸送に使われた川では、今では観光客用の乗り合い船が運行されていて、川面から両側に立ち並ぶ美しい蔵屋敷の街並みを楽しむ事が出来る。
街並みの中心に位置する倉敷館は、旧倉敷町役場として大正5年に建てられた尖塔屋根が印象的な建物だ。 内部は無料の休憩所として使われ、観光案内所も併設され開放されている。 その隣に建つのが江戸後期の土蔵を利用した倉敷民芸館で、陶磁器や木工品などの民芸品が展示されている。 更にその向こうには、国内外の郷土玩具約4万点を収蔵する日本郷土玩具館がある。
倉敷川に架かる中橋の前には、倉敷考古館が建つ。 江戸後期の米倉を改造した建物で、貼り瓦の壁の幾何学模様が美しい。 このように岸辺には、白壁の土蔵や商家が立ち並び、なまこ目地瓦張りの壁、本葺きの瓦屋根の建物群が軒を連ねる。 それらには先人たちの知恵が秘められていて、町屋の倉敷格子、倉敷窓や、隙間風の入らない壁などに工夫がみられる。 そんな今に残る当時の住宅の一部では、一般に公開されているところも有る。
この付近には、地元出身のプロ野球で活躍した星野仙一の記念館もある。 少し町中を歩くと、桃太郎からくり博物館や、いがらしゆみこ記念館など、思わぬ場所での出会いもある。
人ごみの喧騒を逃れ、メインストリートを外れてみる。 倉敷の良さは、裏道やそんな路地裏にも古い街並みが家屋とともに残されていることだ。 “ひやさい”と呼ばれる狭い路地には、江戸時代大八車のわだちを防ぐ、石畳が敷かれた道が静かに佇んでいる。 商店の店先も、どこか懐かしい匂いがする。
倉敷アイビースクエアは、旧倉敷紡績の倉敷本社工場の跡地、江戸時代の倉敷代官所跡地に建つ施設で有る。 倉敷紡績の発祥工場と言われるこの建物群は、明治22年に建設されたもので、今日我が国に残る紡績工場の建物としては、最も古く代表的な建物とされている。
赤いレンガ造りの建物に、緑のアイビーが絡み、四季の彩りを演出する素敵な場所だ。 このアイビーは、工場内の温度上昇を防ぐよう、大原孫三郎が従業員のために植えたとされている。 場内には、オルゴールミュージアムや、倉紡記念館、児島虎次郎記念館、手作り体験の出来る工房、ホテル・レストランなどがある。
■交通案内
■ 新幹線 東海道新幹線岡山駅下車、山陽本線(下り)に乗換(16分)、倉敷駅下車。 東海道新幹線新倉敷駅下車、山陽本線(上り)に乗換(8分)、倉敷駅下車。 ■ JR電車 山陽本線倉敷駅下車、徒歩15分。 ■ 下電バス 倉敷駅前から、塩生線・古城池線のJR児島駅行きで、大原美術館前下車(2分)、徒歩すぐ。
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