中国山地に挑む 木次線

 

木次線の起点駅は、宍道である。

中国地方屈指のローカル線、木次線は島根県の宍道から中国山地の真ん中、広島県の備後落合を81.9qで結ぶ。

時刻表を見ると、運行する列車の本数は一日10本、その内終点の備後落合までいく列車は2本しかない。

しかもこの列車、曜日により区間運休がある。

 

木次線

木次線

木次線

 

木次線

木次線

木次線

 

木次線

木次線

木次線

 

宍道を出た列車は、大きく山に向かってカーブする。

次の南宍道を過ぎると、中国山脈に向けていきなりの25‰で、急勾配登が待っている。

エンジン音を響かせ、登ったり下ったり、右に左にカーブしながらユックリ、ユックリと山に向う。

奥出雲神話の故郷・木次には、30分余り到着する。

 

木次線

木次線

木次線

 

木次線

木次線

木次線

 

更に大きくカーブしながら急勾配で高度を稼ぎ、木次から50分ほどで亀嵩に到着する。

ここは松本清張の「砂の器」の舞台として取り上げられ、一躍有名に成った駅である。

しかし、最近では蕎麦屋さんの有る駅としても知られている。

 

この日も列車が到着すると、宍道から乗った男性数人連れがホームに降りて蕎麦を受け取っていた。

駅の蕎麦屋さんは乗車前に電話で注文すると、列車の到着に合わせ、出来たての蕎麦をホームに届けてくれるのだ。

以前車で訪れた時は店内で食べたが、丁度昼時で混んでいて、随分と並んで待たされた思い出がある。

 

車内にそばつゆの匂いが漂い、それがまだ消えぬ内に、列車は出雲横田に到着し、ここで十数分間停車する。

ここは雲州そろばんの一大産地として知られた処だが、乗客の関心はそろばんでは無く、ここの駅舎にある。

神話の里出雲の国らしい荘厳な神社造りで、昭和9年開業当時のものは、名駅舎として全国に知られている。

 

木次線

木次線

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木次線

木次線

木次線

 

乗客の多くはカメラを持って、いそいそと改札口を出ていく。

駅舎をバックに、何人もの乗客が入れ替わり立ち替わり記念撮影に余念がない。

駅員さんの「そろそろ出発しま〜す」の声で、何人かの乗客があわてて車内に駆け戻る。

列車は大きく汽笛を鳴らし出発したが、のんびりとしたもので、腕時計を見たら少し遅れて発ったようだ。

 

木次線は八川を過ぎると、25‰以上の急坂を喘ぐように登って行くハイライト区間の始まりである。

やがて山間地の山側に、左手から線路が一本近づき、その合流の先に駅が見えてくる。出雲坂根駅だ。

三段式スイッチバックで有名な駅で、水色と白に塗り分けられた「奥出雲 おろち号」が先着して待っている。

 

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

 

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

 

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

 

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

 

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

三段式Z型スイッチバック

 

ここでも乗客は忙しい。「水飲みに行く時間、有りますか?」「大丈夫ですよ」と運転士。

僅かな停車時間では有るが、乗客がホームの端に湧く名水「延命水」を飲みに走るのを待ってくれる。

乗客は「奥出雲 おろち号」を写真に収め、三段式スイッチバックの線路をも写そうと、右往左往している。

 

国内のJRでは全国に4か所しかない、三段式のスイッチバックの始まりだ。

運転士が車内を移動すると、何人かの乗客がその後を同じように付いて移動する。

手を振る「奥出雲 おろち号」の乗客に見送られ、登り線にユックリ、ゆっくりと侵入する。

分岐に乗り入れしばらくすると、今来た線路がすぐ下に見えるようになる。

やがて前方に小さなトンネルのような施設が見え、内部で赤信号が灯っている。

 

列車がブレーキ音を軋ませて停車すると、運転士が移動すると乗客もぞろぞろと同行する。

列車は、今度は左の登り線に侵入し、大きくカーブしながら喘ぎ喘ぎ、30‰の急勾配を登って行く。

このように切り返しながら山を登る、いわゆる「三段式Z型スイッチバック」である。

 

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

 

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

 

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

 

出雲坂根駅前を走る国道314号線が遠く小さくなっていく。

列車は車輪を軋ませながらユックリ、ユックリと、停まりそうな位ユックリと急坂を昇って行く。

本当に停まるのではないかと思っていたら、急坂を登り切ったところで本当に停まってしまった。

 

とその瞬間、突然右手の視界が開けた。

山並みの中に、国道314号に架かる「奥出雲おろちループ」の赤い橋脚が目に飛び込んできた。

何とこれは絶景ポイントをユックリ見ても貰おうと言うJRのサービスなのだ。

 

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

奥出雲おろちループ

 

車内の乗客全員が一斉に右側の窓に寄りかかり、身を乗り出すようにしてカメラを構えている。

車両が横倒しに成りはしないかと心配に成るほどだ。

見渡す限りの山又山は、紅葉の時期なら超一級の景観であろうが、今は時期的に少し早いようだ。

 

暫く停車した後も、歩くようなスピードで、この絶景を堪能させてくれる。

再びエンジン音を高めスピードを上げ、昇りながら幾つものトンネルを抜けると、三井野原に到着する。

標高726m、JR西日本では一番高所にある駅である。

ここまで三段式スイッチバック以降、160m余りを昇ってきたことになる。

 

備後落合

備後落合

備後落合

 

備後落合

備後落合

備後落合

 

備後落合

備後落合

備後落合

 

駅を出て、島根県境を越えると広島県で、後は備後落合に向かって滑るように一気に下って行く。

備後落合では、10分ほど待ちで芸備線の備中神代から新見に向かう列車に接続する。

これに乗り損ねると、次は6時間後の20時過ぎまで列車は無い。

駅にも、その周りにも何もない山の中の寂しい処で、長時間過ごせそうにない、乗り遅れたら大変だ。

 

 

廃線の危機 三江線

 

 広島から芸備線で三次に向かい、更にそこから三江線に乗る。

太田川の東を、川に沿って北上するが、川が近づくのは戸板を過ぎてからだ。

三次までは本数も多く、時間帯によっては、快速もあるので困ることは無い。

 

しかしその先、三江線終点の江津に向かう列車は、日に3本しか無い。

と言っても直行列車は、三次を朝の5時台に出る1本のみで、残りは石見川本か浜原で乗り換える事になる。

17時台に三次を発つ、浜原乗り換えの列車は30分程の接続で乗り換える事が出来る。

しかし、残る9時台に出る石見川本乗り換えの列車は、何とそこで1時間40分以上も待つことになる。

 

三江線

三江線

三江線

 

三江線の乗換駅、三次には1時間40分ほどで到着する。

江の川、西城川、馬洗川が合流することから水の都と呼ばれ、陰陽を結ぶ交通の要衝として栄えた町だ。

 

三次は、ワニ料理が知られているが、これはあのワニでは無く、海のサメの事である。

サメの肉は腐りにくい事から、山間部で食べられる貴重な魚として重宝され、秋から冬にかけてが旬らしい。

この町のレストランでは「ワニ料理」が味わえるらしい。

しかし、水の都三次にはその水で仕込んだ美味しい地ビール「ベッケンビール」も有る。

僅かな乗り換え時間では、ゆっくり味わえないのがもどかしい。

 

三次駅の三江線乗り場は、ホームの外れの寂しい場所にある0番線だ。

乗客は青春18切符の利用者と思しき数名のみだが、それでもたった一両の気動車は定刻に走り出した。

 

三江線

三江線

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三江線

三江線

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三江線

三江線

三江線

 

列車は、広島県内では可愛川(えのかわ)と呼ばれている、日本海に下る江の川に沿って走る。

山間を流れるその川が、いつも車窓に寄り添い旅情を慰めてくれる。

川沿いはカーブも多く、エンジン音の割にスピードは出ず、勢い良く漕ぐ自転車程のスピードだ。

 

少し長いトンネルを抜けると突然目の前が開け、随分と高い位置にある駅に停車した。

駅はトンネルとトンネルの間、谷に架かる高架橋の上に有り、ホームまでは100段以上の階段が通じている。

建物で言えば六階分に相当するらしく、その事が鉄道ファンの間では良く知られた有名駅でも有る。

興味が沸いたが、ここで降りてしまうと次は6時間後の18時まで列車が無いから降りるわけにはいかない。

 

 この駅は、高齢化の進む過疎の町に有る字都井駅で、三次からは1時間ほどのところだ。

この日ホームには、二三ファンらしき人がカメラを構えていたが、恐らくは車で訪れた人達で有ろう。

こんなにも便利の悪いところに駅を作って、地元に鉄道を使おうと呼び掛けても、どだい無理な話しである。

鉄道好きは訪れても、とても高齢者が使いやすい駅ではない。

 

三江線

三江線

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三江線

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三江線

三江線

三江線

 

字都井を出で、その先の岩見松原辺りで列車は、東方向へ大きく進路を変える。

そのまま真っ直ぐ石見川越辺りに繋がれば良いものを、「つ」の字状に迂回している。

浜原のダム湖を避ける為の措置らしいが、これにより都市間を結ぶ幹線としての機動性が損ねられた。

その事が結果的には、ローカルな閑散路線に貶めている一因になっていると言われている。

 

三次を出て2時間余り、江の川の堤防が近づいてくると列車は石見川本に到着する。

この列車はここが終点で、江津行きの次の列車までは、1時間40分余りを待つことになる。

 

三江線

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三江線

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三江線

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三江線

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「やっぱ、駄目だった」

三次から一緒だった青年が、運転士と何か話し込み、その後こぼすので「どうしたの」と尋ねてみた。

「列車の中に荷物を置いておいても良いか」と頼んだが、「駄目だ」と言われたらしい。

 

青年によると、江津にはこの列車がそのまま向かうから、車内に荷物を置かせてくれるよう頼んだとか。

運行上は石見川本止まりと成るので、滞泊中の列車に、荷物を置くことは出来ないと言う事らしい。

これから食事休憩に入るので有ろう運転士は、エンジンを切り車両に鍵をかけ駅務室に入って行った。

 

その青年は、ホームのベンチに荷物を置いて駅舎を出ていった。

それを見て、乗っていた何人かの乗客も一様にベンチに荷物を置いたまま出て行った。

随分迷ったが、身軽に越したことは無いのでそれに倣い、荷物を置いて駅舎を出た。

 

三江線

レストランのメニュー

中程度の精度で自動的に生成された説明

三江線

 

「緑にこだます 音楽の里」

ここ川本には、ブラスバンドの全国大会で何度も優勝をした川本高校がある。

食事をするところを捜さなければ・・と思い、駅で手にしたパンフレットにそう書かれていた。

伝統を生かし、音楽を町作りの柱にした施設「悠邑ふるさと会館・かわもと音戯館」が小高い山の上にある。

 

車も人もほとんど通らない静かな町で、やっと「創作Dining」と書かれた小奇麗な店を見つけ昼食をとる。

店員に、この辺りで1時間ほど時間をつぶしたいのだが・・と聞くと、「この町は何もない」と素っ気ない返事だ。

「あの先に見えるところは・・・」と聞くと、「観光するようなところではない。大したことない」と言う。

少し山の方に向かうと城跡も有るらしいが、結構な距離を歩くことになるらしい。

 

三江線

三江線

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三江線

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結局、昼間からビールを注文しゆっくり飲んで、ラーメンを啜っていたら1時間ほどが過ぎてしまった。

店を出て、町はずれのお寺に立ち寄り、そのあと線路を横切り江の川の河川敷に出てみた。

暑く日差しのきつい日で有ったが、さすがに川面を渡る風は涼しく、乗客の何人かは土手に寝そべっていた。

皆どこかへ行くあても無く、ここで時間潰しをしていたようだ。

 

突然静かな川縁に、列車のエンジン音が聞こえてきた。

先程の運転士が休憩を終え、江津行きの列車に乗り込み、アイドリングに入ったようだ。

この音を聞き付けて、どこからともなく先ほどと同じ顔ぶれの乗客が戻ってきた。

 

反対側のホームに、対向の浜原行きの列車が入線する。

この先江津まで列車の行き違いが出来る駅が無いので、長時間停車はこの列車の到着を待っていたのだ。

その列車がホームに停止するのを見て、列車はようやく江津に向け出発した。

 

三江線

三江線

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三江線

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三江線

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三江線

 

 浜原ダム湖を迂回し、西寄りに向っていた列車が、岩見川越えを過ぎた当りで北寄りに進路を変える。

ここからは、江の川の左岸に沿って、ひたすら日本海を目指し下って行く。

途中三瓶山が車窓から見えると聞いていたが、どの辺りで見えたのか・・・気付かず見損なってしまった。

やがて川幅が広く成り、その先に日本海が広がると終点の江津に到着だ。

 

 三江線は、広島県の三次と島根県の江津との間、108.1qを35の駅で結ぶ陰陽連絡線である。

この路線、直線なら2/3程度の距離で済むところ、川に沿って迂回するので距離も長く、極めて機動性が悪い。

加えて沿線は過疎の進む地域とあって、数あるローカル線の中でも営業成績は芳しくない。

今回も乗客は鐵道ファンらしき人達ばかりで、地元の利用は少なく、今まさに廃線の危機を迎えている。

 



 

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