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山伏の 伝統今は パーワースポット■ 五流尊龍院
奈良時代(8世紀ころ)この地は「熊野神社」と修験道の寺院が一体となった神仏習合の形態をとる「新熊野権現」と言う宗教施設で広く信仰されていたが、それも平安時代以降は衰退したと言う。
修験道の始祖・役小角とその弟子たちがこの地(倉敷市林)に熊野三山を勧進し、ご神体を安置し5つの寺院を設けた。 聖武天皇がこの付近一帯を御神領とし、社殿を寄進したのがその始まりとされている。 そして、明治の神仏分離令で十二社権現は「熊野神社」となり、修験道が禁止され分離された「五流尊龍院」は天台宗の寺院となったが、第二次大戦後に天台宗から独立し、再興されて日本修験道の本庁となった。正統修験の総本山である。
修験道の総本山とは言え「五流尊龍院」は、庵のような風情を持つ、そんな感じの寺院である。 周辺は樹木が鬱蒼と茂った森で、白壁の参道に沿って入り口を入ると、左が茅葺屋根の御庵室(庫裏)で、その前には良く手入れされた庭園が広がっている。 石段を上るとそこは護摩壇で、正面には不動明王が、左手に護摩堂があり、その横に「役行者尊像」が建っている。 更に進むとその奥には本堂を構えていて、修験道の総本山らしくここには信徒の宿泊所などもある。
そこからさらに進むと「五流稲荷大明神」や「庚申さま」などがあり、裏門に至るこの道は古い昔にタイムスリップしたような風景で、周辺は紅葉する木々も多いので、隠れた紅葉の名所と言った感が有る。 ここから300メートルほど西に行けば「熊野神社」である。 その境内の東には、ひっそりと建つ「五流尊龍院の塔」と呼ばれる風格のある三重塔(県指定重要文化財)が建っている。 本瓦葺き、高さが21.5mあり、文政3年に建立されたものだ。 また、入口付近駐車場の脇にある石造宝塔(後鳥羽上皇御影塔)は、国の重要文化財に指定されている。
古くから神々が鎮座すると言われ、特別な信仰の対象となった紀伊山地。 その霊場とそれらを結ぶ参詣道などの文化的景観は、平成16年7月に世界遺産に登録された。 その構成要素でもある熊野三山とは、「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の3社と「那智青岸渡寺」の1寺(下写真、上から順に)を言う。 倉敷市林にある「熊野神社」は、熊野の十二社権現のご祭神の勧請を受けた神社で、「熊野本宮大社」から日本一の認証を受けている。
「熊野神社」の入口には、「日本第一 熊野神社 十二社権現」と書かれた石柱が立てられている。 鳥居をくぐり、数段の石段を上り真っ直ぐ伸びる参道を百メートルほど進むと、正面に市街地には珍しいほどの俗化を免れた自然林が現れ、その左手の緑の静寂の中に「熊野神社」の社殿などが見えてくる。
手水舎を跡に参道を進むと、左に拝殿、右に授与所が有る。 その間を抜け巨大な備前焼の狛犬を見て玉垣の中に入ると、その正面に檜皮葺の屋根を横一列に並べて建つ社殿が現れる。 濃緑の山を背に、古色の社殿が建ち、屋根に乗る青銅色の千木が映える様は、なんとも言われぬ厳かな気がして不思議な空間だ。 隠れたパーワースポットと言われているらしい。
説明書きによると、左から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿と並び、そのうちの第二殿は、最も古く明応元(1492)年の造営で国の重要文化財に指定されている。 また他の五殿は、正保4(1647)年、岡山池田藩により再建されたもので、県指定の重要文化財だ。
その脇に建つ小社・八尾羅(はっぴら)稲荷神社は、日本で唯一の「いじめ除け」の神様だそうだ。 その昔近所の田畑を荒らす狐が多く、熊野神社に祈願したところ、西に祠を建てれば良いとのお告げが有り建立されたものだ。 以後狐の被害は無くなり、狐は神社の守り動物になったという。
■ 交通案内
■ 五流尊龍院・熊野神社
電車 JR瀬戸大橋線 植松駅より南西へ徒歩25分、木見駅より北へ徒歩20分
車 瀬戸中央自動車道水島ICから北東へ1.5Km 県道岡山児島線林交差点を右折300m
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