土湯温泉

 

福島県の中通り地方にあり、吾妻山の山懐に抱かれた土湯温泉は、福島市の西方16Kmのところ、福島駅前から路線バスに乗れば、40分ほどの先に位置している。周りを穏やかな山々に囲まれ、町の中心を阿武隈川水系の一級河川、清流・荒川が流れ、その流れに沿って温泉街が開けている落ち着いた風情のある、自然豊かな町だ。

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

土湯には70か所ほどの源泉が有ると言われている。

その中でも最大の源泉が温泉街から2キロほど離れた荒川の源流付近にあり、150度の温泉蒸気と熱水が噴き出ていて、それに吾妻山系の天然湧水を加えた無色透明の単純温泉を各旅館に供給していると言う。

勿論自家源泉を持つ宿も多くあり、そのため炭酸水素塩泉や硫黄泉など色々楽しめるのも土湯温泉の特徴の一つである。

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

土湯温泉

土湯温泉

土湯温泉

 

温泉の歴史は古く、開湯伝説は遠く神代の昔まで遡る。

その言い伝えによると、陸奥の国に下る国作りの神(大国主命とも言われている)が、この地を流れる荒川の畔を手にしていた鉾で突いたところ、その先から熱いお湯が噴き出した。その「突き湯」が転じて「土湯」と呼ばれるようになったとか。

千年以上も前に遡る伝説ではあるが、この土湯の名称は「吾妻鏡」にも見られると言う。

温泉地は古くから修験者の生活の場として、又湯治場として栄え、江戸時代には会津街道の宿場町としても賑わった。

 

 

こけし、三大産地の一つ


 

ここ土湯温泉は「土湯系こけし」のふるさとで、宮城県の鳴子、遠刈田と並んで、東北地方に伝わる伝統こけしの、「三大生産地」の一つに数えられている。

そんな町の中心、土湯温泉バス停前には、そのシンボルが訪れる観光客を出迎えている。

顔出しパネルと共に、一際目を引く細長い建家が建っていて、中には巨大なこけしが一本収められている。

これは毎年4月に開かれるこけし祭りの、30周年を記念して土地の工人が総がかりで作り上げたと言うこけしだ。

材料はイタヤカエデで、その高さは3m、重さは何と500キロと言われる立派なもので、制作には12人の工人が加わった。

また、町の中心を流れる荒川を少し遡ると、市道に荒川大橋が架かっていて、その袂にも巨大な4本のこけしが立っている。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

荒川大橋を背に、温泉街から少し山際に向かい、石段を登ったところに「土湯山興徳寺」がある。

この境内に聖徳太子を祀る太子堂と、土湯こけし工人組合が主体となって昭和4911月に建立した「薬師こけし堂」があり、温泉の守り神である薬師如来と木地師の始祖・惟喬親王を合わせて祀っている。

そんな赤い屋根の小さなお堂の中には、奉納された沢山のこけしが並べられている。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

 興徳寺の石段を下りきったところに有るのが「上の町こけし通り」だ。

余り広くは無い通りだが、街灯にはこけしの絵も飾られていて、何軒も伝統こけしの看板を掲げる家(店)が並んでいる。

しかし、どの家にもこけしが並べられたショーケースが有るわけでも無く、表のガラス戸は固く閉ざされている。

そんな通りには、二代目・浅之助の看板を掲げた店も有る。

調べてみると、浅之助は明治の初めごろ、土湯でこけし作りを定着させた佐久間一族の一人である。

ここはその血縁の店であろうか。しかし店先を覗いても人気も無くひっそりとしている。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯温泉のバス停前には観光案内所があり、それと並んで、一風変わった名前のお店が建っている。

県内産のコンニャクイモで手作りに拘る「こんにゃく工房・金蒟館(きんこんかん)」だ。

土湯のNPO法人「土湯温泉観光まちづくり協議会」が立ち上げた施設で、こんにゃくのブランド化を目指している。

ここではお決まりの刺し身こんにゃく、千切りこんにゃくや、珍しいこんにゃくアイスが人気を呼んでいる。

その近くにある写真館ギャラリーは、プロのカメラマンであり、こけし店の店主が営むカフェを併設したギャラリーで、沢山のこけしを展示販売する人気の店だ。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

 温泉街には他にもこけし関連の施設、「土湯見聞録館」や「土湯伝承館」などの施設も有り、どこも無料で入館できる。

「土湯見聞録館」には、故・阿部荘作氏のコレクション等、伝統こけしが約1000本も並べられていてその数に圧倒される。

「土湯伝承館」では、東北各地から集められたこけし約800本を展示していて、ここには休憩スペースや工房も併設され、休日にはこけし制作の実演も行われる。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 


 

土湯系のこけし

 

 土湯温泉を中心に発祥した「土湯系こけし」は、最盛期には30名近い工人が制作活動をしていたらしいが、今日では10名程度まで減っていて、しかも専業で製造にあたっているのはその内の3名だけだと言う。

こけし作りは修行に基づいて一子相伝的に技術の伝承が行われるが、後継者難は今も尚この地でも深刻に引きずっていると言う。

 

 温泉街に有る民芸品・おみやげ品を売る「会津山根屋」は、土湯系のこけし工人・渡辺忠雄さんのお店だ。

店先にはガラス張りの工房も有るので、運が良ければロクロ引きの作業風景が見学できるかもしれない。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

 荒川大橋の袂にある公衆浴場・中の湯の前の「まつや物産店」は、土湯系のこけし工人・阿部家五代目・阿部敏通さんのお店で、今は主に六代目の国敏さんがお店を切り盛りしていると言う。

訪れた日はその六代目が在宅で、店先で気さくにロクロ回しの実演を見せてくれた。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

 今から160年余り前、文政年間から受け継がれてきた「土湯系こけし」は、比較的頭が小さくて、円柱形の細めの胴は、上部と下部が少し絞られたエンタシス型が多い。

頭の模様は、墨で黒く蛇の目を描き前髪をたらし、その両側に赤い髪飾りを描くのが特徴だ。

胴の模様はロクロ線の組み合わせが基本で、その色の組み合わせで美しさを競っている。

 

 ロクロで描く線模様には、返しロクロと言う特殊な技法が有り、単調になりやすい線模様にアクセントを付けている。

昔のロクロは足踏み式であるから、急に回転速度を変えたり、停止させたり、或は反転させることが出来たので、これにより規則的な線模様が乱れ、水紋のような独特の線を描くことが出来た。

しかし今は殆どがモーター式のロクロで、一方向への回転だからこの線を描くには、特殊な技法がいるのだそうだ。

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

土湯系こけし

 

伝統こけしの一大生産地とは言え、昭和40年代の爆発的なブームが去った後は、この地も例外ではなく一気に市場が縮小し、製造も販売も思うに任せない状態になったらしい。

元々この地は、地元の日帰り温泉客を増やそうとの戦術を長年取ってきたらしい。そのため温泉に来る観光客も、県内やその近隣から来る人が多いと言う構造的な問題も有り、土産品や特産品などを土産として買って帰ると言う事に繋がってこなかった。

近頃では、地震による原発事故の影響で、回復傾向に有るとは言え、店頭商いが出来るほど観光客の入り込みが期待出来ていない。

その為土産しては成り立たず、制作した物を他の販売店や土産店に卸し、ネットなどで受注生産をする工人も多いと聞いた。

 

 

 



 

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