作並の温泉とこけし
仙山線は東北地方最大の都市・仙台と、山形県の羽前千歳を結ぶ58.0Kmの路線である。
当初は、仙台〜作並間の仙山東線と、羽前千歳〜山寺間の仙山西線とに分かれ営業を開始した。
その後路線は延伸され、羽前千歳からは山形新幹線と並走するように、北山形を経て山形駅まで乗り入れ運行されている。
今では、仙台と山形両駅の近郊では通勤通学を担う路線である。
作並〜山寺の間は、日本の背骨である奥羽山脈を越える山岳区間だ。
全通に向け、奥羽山脈の県境区間を抜けるために面白山トンネル(5361m)が掘られることとなったが、これが思わぬ難航した。
そのトンネルが完成し、仙山線が全通するのは当初営業から遅れること8年後のことで有る。
しかしこの長大トンネルの密閉された中や、山道を蒸気機関車で行くには無理が有り、この間は当初から直流電化された。
その後昭和28年には交流電化の試験が行われ、やがて全線交流電化の営業運転が始まり、それが今日の新幹線で使われる交流電源技術のルーツと成り、2014年の60周年の記念の年では節目のイベントも開催された。
仙山線の途中にある作並駅は、仙台の奥座敷と言われる作並温泉の玄関駅であるが、駅のホームには「仙山線の交流試験発祥の地」の記念碑が立てられている。
温泉は仙台市内を流れる広瀬川の上流域の渓谷沿いにあり、その発見は養老年間と言う古湯で、その昔源頼朝が奥州不藤原氏征伐の折、兵馬を休めたとか、歴代の仙台藩主が隠し湯にしたなど歴史ある温泉だ。
この温泉地を中心に製造されるのが、作並系伝統こけしである。
この地を最初に訪れたのは、かれこれ40年近くも前のことで、当時のことは定かには思い出せない。
その折に、温泉街の一角で作並系伝統こけしを製作販売する平賀謙次郎さんのお店に立ち寄り、何本かのこけしを買って帰った記憶はあり、その当時のこけしは残っているものの、残念なことに写真は全て無くしてしまった。
その後一度だけ10年ほど前に再訪の機会があったが、夕方現地に到着し、慌ただしく作並温泉の観光泉旅館に宿泊し、翌日早々には周辺を散策することもなく、次の目的地に向けて発っている。
作並系のこけし工人・平賀一族の工房は、江戸時代末期から始まり150年余り当地に息づいている。
ここを訪れた当時は、五代目工人・平賀謙次郎の代で有ったが、現在ではその孫の八代目がその伝統を受け継いでいるらしい。
作並系のこけしは、頭に比べ胴はやや細い直胴で下部が少し細くなっている。
頭の頂には水引と言われる赤い模様が有り、胴の上下にロクロ線模様を入れ、その間に単純化した菊の花を描くのが特徴だ。
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