Y字型に駅舎が、北山形駅

 

 北山形駅は、大正101921)年に左沢(あてらざわ)軽便線の途中駅として開業し、現在の西口駅舎が造られた。

今日ではJR左沢線の起点駅となったが、路線は一つ先の山形駅まで単独の狭軌道を延ばし乗り入れている。

その後昭和に入って奥羽本線の列車が停車するようになり、さらに仙山線が羽前千歳から延伸され山形駅まで乗り入れるようになると東口駅舎が整備された。このため両駅舎は、Y字形に接するように設けられている。

 

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

 

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

 

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

左沢(あてらざわ)

 

山形新幹線が走るようになると、奥羽本線は山形線の愛称で呼ばれることになるが、新幹線は従来の線路とは幅の異なる標準軌であるため、駅のど真ん中をこれが貫いている。

結果この駅では、左沢線と仙山線の狭軌軌道が、標準軌道の新幹線(山形線)を挟み込む形で山形駅まで伸びていて、それぞれが自前の線路を走行する面白い光景を見せてくれる。

 

山形駅

山形駅

山形駅

 

山形駅

山形駅

山形駅

 

山形駅

山形駅

山形駅

 

JR左沢線

JR左沢線

JR左沢線

 

JR左沢線

JR左沢線

JR左沢線

 

JR左沢線

JR左沢線

JR左沢線

 

手元にある「伝統こけし工人手帳」(平成147月 宮城物産)を頼りに、仙山線(正式には奥羽本線)の北山形駅で列車を下り東口駅舎を出て、町中の「山形系こけし」の工人宅訪ねてみる。

 

雪道でも15分も歩けば着けるだろうと、地図で大凡の検討を付け歩き始めたものの、市街地とは言え雪の積もった道は、深いところもあり、所々凍っていたりして慣れない身にはなかなかに歩きにくい。

それでもようやくこの辺りと思われるところに辿り着いたが、何と辺りの道路が拡幅工事中で、いたるところが掘り起こされ、沿線の沿いの建物も立ち退きに成ったのか、少し奥まったところに真新しい家が、パラパラと何軒か建っているのみである。

 

 

雪の中、こけしを求めて

 

 捜すお宅が見つからない。

思い余って目に入った「たばこや」のガラス戸を開け、尋ねてみた。

「あのぅ〜、この辺りに、こけしを作る・・・小林誠太郎さんのお宅は・・・」と言いかけた途端、火鉢を囲んで茶のみ話をしていたご婦人がたの視線が一斉に一番端のご婦人に向けられた。

何と言う偶然か、工人の奥様がその場に居られたのだ。来意を告げると、「誠太郎は死んだので、もう作っていない」と言う。

それでも、「いくらかは残っているから、見て行くか?」との誘いに、有難くお宅を訪ねることにした。

 

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

 

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

 

 自宅は、そのタバコ屋さんの二三軒先の真新しいものだった。立ち退きで建て替えられたようだ。

「寒いのに・・、こんな遠くまで・・物好きに・・」などと言いながら、熱いお茶を入れ勧めてくれる。

「後を継ぐ者もいないので・・・」と言いながら、玄関脇に無造作に積まれていたみかん箱を二つほど持ち込んで、「これだけしか残っていないので、好きなだけ持っていけ」と、くるめた新聞紙をほどきこけしを床に並べてくれた。

 

 長い時間をかけ、何本かのこけしを選んだ。

「いくらでも良い」と言われ少し困ったが、大体の見当をつけ「これぐらいで・・・」とお金を差し出すと、「これも持っていけ」と最後まで迷っていた一本をおまけに付けてくれた。

 

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

 

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

 

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

山形系のこけし

 

 山形系のこけしは、他の多くが温泉地を中心に作られているのに対して、山形市を中心に米沢・天童・上ノ山などの主に市街地で作られている事が多いのも特徴の一つだ。

この地方では、こけしの事を”デクノボウ”と呼んでいる。

その特徴は作並系に似た頭部に、輪飾りと放射状の線を描き、単純で細めの棒状の直胴の上下に轆轤線を入れ、そこには梅や桜や菊の模様を描いている。胴は肩を丸め下方を絞った形のものもある。一般的に頭は差し込みで造られている。

 

 

 



 

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