山寺の玄関駅
仙台と山形を結ぶJR仙山線は、昭和12(1937)年に全線開通している。
ここ山寺駅は、同線が山形と山寺の間で先行開業した昭和8年に営業を始めた古い駅で、折り返し駅として当時使われた転車台が構内にまだ残されていると言う。
山寺・立石寺観光の玄関駅で、一面二線の島式ホームをもち、昭和8年に建てられた寺社造り風の駅舎は、名駅舎としても知られていて平成14(2002)年に東北の駅百選に選定されている。
ホームに降り立てば、正面には、屹立した厳しい山肌にへばり付くように並び建つ山寺の伽藍群を遠望することが出来る。
山寺こけし
山寺の駅を出て真っ直ぐに暫く歩くと山寺街道に行き当たる。
丁度そのT字路に、駅とは正対するように建つ古風な造りのホテルが見えてくる。
ここは、江戸時代からこの地で続く旅篭の流れを継ぐホテルで、現在の建物は大正末期頃のものらしい。
(ホテルは平成19年に廃業)
ここら辺りを歩くと、道路脇に並んだ何軒かの土産物屋さんや食事処が店を開けていて、観光客に声をかけてくる。
店先では名物の「力こんにゃく」が美味そうな匂いを立て、客を誘っている。
これを食べれば山寺の急な石段も、苦も無く登れると言うのでこれから山に向かう人で繁盛しているようだ。
そんなお店に混じって駅前通りの一角に、山寺こけしの店がある。
明治生まれの兄三四郎に指示した、昭和生まれの弟・和夫さんの店で、蔵王系のこけしを作っている。
元々の胴模様は線香花火のようと例えられる重ね菊で、その胴は裾が細くくびれ、なかなか悩ましげな形をしている。
黒いおかっぱ頭に一重瞼の少し垂れ気味な眼は愛嬌があり、小さな口がとても愛らしい。
宝珠山・立石寺
『山形領に立石寺と言う山寺有。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地成り。一見すべきよし、人々のすすむるによりて、・・』
奥の細道を旅した芭蕉は、山形に向かう行程を変更し、当初予定には無かった山寺を、人に勧められるまま、雇った馬に跨がり、尾花沢から天童を経て訪れ、夕方入山し寺の宿坊に一夜の宿を求めたという。
そして呼んだのがこの有名な一句で、寺の境内には、句碑と共に、芭蕉・曽良の像がある。
『閑さや 巌にしみ入る 蝉の声 』
立谷川に架かる宝珠橋を渡ると目の前に駅から遠望した山が迫って来て、やがて石段の登山口が見えてくる。
それを登った先には根本中堂が建ち、芭蕉・曽良の像を後にして、念仏堂や鐘楼を見て更に進むと、その先が入山口である。
ここでは一般的のお寺のように拝観とは言わず、入山と言い、入山料を払う。
文字通りここ山寺・立石寺は、山道に沿って堂宇が配置されていて、九十九折りの階段を上りながら参拝することになる。
弥陀洞から先に進み、欅材で造られた仁王門を潜る。両側に立つ仁王尊像は、運慶の弟子達の作だと伝えられているそうだ。
階段はまだまだその行く手に、見上げるように続いている。
江戸時代までは、12の支院が有ったと言うが、今日残るのは4院のみで、当時の面影を今に伝えていると言う。
そんな支院の性相院や金乗院などが軒を連ねるその階段を、更に登りつめて行く。
1015段有ると言うその石段を上り詰めると、その先にようやく現れるのが、像高5メートルの金色阿弥陀如来像を祀る大仏殿と、奥の院と呼ばれる明治5年に再建された妙法堂である。
ここには当山を開山した慈覚大師が、中国で修行中常に持ち歩いたと伝わる釈迦如来と多宝如来が本尊として祀られている。
奥の院から来た道を少し戻って右に入ると、やや緩やかな道が百丈岩の上に建つ開山堂に向かって延びている。
開山堂は、山寺を開いた慈覚大師のお堂で、その先に見える赤い建物が納経堂で、山内では一番古い建物だ。
そしてその先の建物が五大明王を祀るお堂・五大堂で、ここの売りは何と言っても舞台造りの御堂から眺める眺望である。
厳しい山塊に囲まれた地に広がる門前町が、まるで箱庭のように広がっている。
| ホーム | 伝統こけし | このページの先頭 |
(c)2010
Sudare-M, All Rights Reserved.
|