(この項関連の現地写真は、パソコンのトラブルで消失しましたので、申し訳ありませんが何もありません)
東北に伝わる伝統こけし
『こけしはそれまでいろいろな名称で呼ばれ、またその書き方もまちまちであった。
昭和十四年宮城県鳴子温泉で開催した全国こけし大会で「こけし」と仮名書きに統一しょうと決議された』
(「東北のこけし」光芸出版 平成20年7月7日)
東北地方だけに生まれ育った郷土玩具である「こけし」は、「伝統こけし」と呼ばれている。
師弟相伝で、形、模様、色使いなどが一族や弟子に伝えられ、その土地でその家系に連綿と受け継がれてきた。
多くは湯治を中心とした昔ながらの温泉地で、お土産として売り捌かれてきた。
一方近代になって日本各地で観光ブームが起きると、土産物としてのこけしが大量に生産されるようになる。
その為それらの「近代こけし」と区別するために、東北各地で作られるものを「伝統こけし」と呼ぶようになった。
この「伝統こけし」は、その生まれ育った土地ごとに形や色使い、描かれる模様などに極まった特徴がある。
それらの特徴によって主に産地を中心として以下の11系統に区別されている。
(その特長を継承しつつ 異なった地に工房を構え制作を続ける工人は少なからず存在する。)
弥次郎系 白石市、鎌先温泉など
土湯系 土湯温泉、福島市、飯坂温泉など
遠刈田系 遠刈田温泉、青根温泉など
蔵王高湯系 蔵王温泉、温海温泉、山形市など
作並系 作並温泉、仙台市など
山形系 山形市、天童市、米沢市など
鳴子系 鳴子温泉、銀山温泉、東根市など
肘折系 肘折温泉など
木地山系 木地山、稲川町など
南部系 花巻市、盛岡市など
津軽系 温湯温泉、黒石市など
(上写真:あつみ温泉)
(上写真:飯坂温泉)
その各産地と言われる地域には、今でもこけし作りを生業とする、「工人」と呼ばれる人たちがいる。
ロクロを回し伝統の技を引き継いでいるが、多くは小規模な家内工業的工房を持ち、作品は土産屋などに卸される。
中には自前の店を構え、店先でロクロを回し実演を披露しながら土産として販売も手掛ける工人も少なからずいる。
「こけし」の発生期と目されるのは、江戸は文化・文政の頃である。
最大の特徴は、木片からロクロで形を削り出し、丸い頭と円柱形の胴を組み合わせただけの単純な形状であること。
これまでに、目、鼻、口などを描かない物はあっても、間違っても手足が付けられたことは無い。
こけしとの出合い
東北の旅は「伝統こけし」を訪ねる旅でもあり、素朴で柔和な表情の「こけし」達と出会う楽しみな旅でもある。
主要な産地では今でも工人達が工房を構え、ロクロを廻し制作した「伝統こけし」を店先に並べ売っていたりする。
また駅の売店や、主要な産地の観光物産館、観光地の土産屋等にも並べられるが、今では数は少なくなった。
とは言え、店先に並べられた「伝統こけし」に出会うと、何だか嬉しくなり、旅が無性に楽しくなるものだ。
「伝統こけし」との初めての出会いは、かれこれ半世紀も前に遡る。
当時住んでいた家から程近い、名古屋駅前の名鉄百貨店催事場で開かれた「東北の観光と物産展」での事である。
当時70歳をすでに超えていた「鎌田文市」 工人の、ロクロ引きの実演を間近で目にする機会があった。
キィ〜ィ〜ンと言う音がして、きな臭い匂いがすると削りくずが踊り、瞬く間にロクロで削り上げられる。
素朴で飾らないながら、その巧みな造形の美しさに思わず見惚れ、何本かを衝動的に買い求めた。
「鎌田文市」工人が工房を構える白石市は、蔵王の登山口に位置し、旧城下町である。
ここでは毎年五月に「全日本こけしコンクール」が行われ、平成28年には58回目が開催されている。
名古屋駅前の百貨店で、初めて「伝統こけし」に出合って以来魅せられて、二度ほど盛況に開かれる会場を訪れた。
このコンクールは、「全国のこけしを広く紹介宣伝し、こけしの美に鑑賞とその認識を更に深める。
工芸品としての優れた品質意匠および技術の向上を図り、観光工芸産業の振興発展を目的として」開かれている。
出品作品は厳正に審査され、最優秀作品には内閣総理大臣賞や関係知事、関係省大臣等の賞が贈られる。
弥治郎系のこけし
白石市の郊外、小さな谷あいに開けた地に鎌先温泉はある。
今から600年近くも前この地の住民が草刈りの最中に、鎌で掘り当てたと伝わる古くからの温泉湯治場である。
この湯治客を目当てにこけし作りをしたのが、温泉の西方1qほどのところに位置する弥治郎集落の人たちだ。
この地にはそんなこけしの歴史や、住民たちの生活ぶりを紹介する「弥治郎こけし村」がある。
この地の「新山左京」
工人の店舗兼工房を訪ねたのは、四半世紀程前の事だが、残念ながら写真を失ってしまった。
鎌先温泉の弥治郎集落や、福島県の磐梯熱海温泉、熱塩温泉を中心に発達した系統が、弥治郎系こけしである。
江戸時代の初め、山林の開墾などで方々から人々が弥治郎集落に住み付き始めた。
屋外作業の出来る時期は田畑を耕し、雪深くなる晩秋から翌春迄は、家内工業的にロクロを引き木地作業を行う。
出来上がった製品は、湯治に訪れる人々の手土産用とし店先に並べられた。
頭は大きく差し込み式で、頂には二重三重の轆轤線模様が多色で描かれる。
線の太さや色の配列は様々だが、丁度ベレー帽を被ったようで、この系統の共通した最大の特徴と言われている。
胴模様にも轆轤線を入れ、着物風の襟や裾、花等と組み合わせているものもあり、黄色地が多用されるのも特徴だ。
胴の容は一様ではなく、直胴、くびれ、段付き、裾広がりなど色々あるようだ。
遠刈田系のこけし
蔵王の東山麓、宮城県の遠刈田温泉に隣接する遠刈田新地と言われる集落が、遠刈田こけしの産地である。
木地業の歴史は古く、約300年前に遡ると言われ、明治の初め頃には新地七軒と言われる木地業の集落が有った。
当時庶民の間で流行りだした温泉湯治場の土産物として造られたのが始まりである。
この新地集落こそが今日の「伝統こけし」発祥の根源地と言われている。
初めてこの地を訪れたのは20年以上も前のことだ。
白石駅前から蔵王エコーラインに入り、蔵王刈田岳まで行く路線バスに揺られて行った記憶がある。
当時泊まった「旅館大忠」はリニューアルをしたらしく、「旬菜湯宿大忠」と名を変え今も営業を続けている。
温泉街の中心地を少し離れ、こけし大橋を渡ったところに新地集落があった。
こけし発祥の地らしく、当時は何軒ものこけしを扱う店が並んでいた。
近くに木地師の祖、惟喬親王を祀った「惟喬神社」や、「みやぎ蔵王こけし館」があり立ち寄った記憶はある。
が、残念ながらこの地も当時の写真は何も残ってはいない。
遠刈田こけしは、差し込みの頭は比較的大きくて、赤い放射状の模様が描かれるが、中にはおかっぱ頭もある。
顔の前面には、前髪から赤い飾りが八の字型に描かれている。
胴はやや細い直胴で、模様は菊を重ね、変形して描いたものも有るが、梅や木目模様を描いたものもある。
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