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■ ゴア・ガジャ
雑然とした町中の渋滞道をやっとの思いで抜けると、「ゴア・ガジャ遺跡」がある。ウブドの東およそ4qの場所だ。 11世紀頃のヒンドゥー遺跡「ゴア・ガジャ」は、1923年にオランダ人により発見されたと言う。 何の目的でこのような物が造られたのかは未だに謎で、僧侶が瞑想や修行をした場所と言うのが一般的な理解らしい。 凡そ一世紀前までは、この辺りはまだ鬱蒼とした亜熱帯林に囲まれ、その神秘な姿を隠していたのであろう。
駐車場に車を止め、土産物屋の建ち並ぶ通路を抜け、入場料を払いゲートを潜り、20m程の階段を降りる。 此処は遺跡であり、ヒンドゥー教の神聖な場所とされているが、日本人の目から見ると大変珍しく興味深い施設である。 そこにあるのは六人の女神のレリーフが残る沐浴場で、洞窟の発見より後の1954年に見つかったもので、近年ではバリ島最大の発見と言われているらしい。
広場の奥に巨大な顔の彫刻が不気味な洞窟がある。「ゴア=像」「ガジャ=洞窟」と言う意味で「象の洞窟」だ。像は「大きな」と言う意味もあるらしい。顔の口の部分が大きく割けて入口となっていて、入ると中は少しひんやりとしている。 そこにはガネーシャと呼ばれる学問の神様や、ヒンドゥー教の神々などが祭られていて、十数カ所有る岩を削った窪みは、僧侶の瞑想場所とも言われている。
見学を終え、再び車に乗った。 車を降りて歩くたびに汗をかき、しきりにハンカチで拭っているものだから、現地ガイドが「暑いですか?」と何度も聞いてくる。 そのたびに「暑い!暑い!」と答えているのだが、ガイドは、「今はそんなに暑くない時季だ」と言う。 しかし暑がりの身にはこの纏わり付くような湿度は閉口もので、車のエアコンが効き始めるとホッとする。
■ バリの飼い犬
「バリの犬、金持ちのは、デカイ。貧乏人のは・・・小さい」 到着の夜見た夥しい数の野良犬の話を持ち出すと、現地ガイドがこんな事を言った。 「あれは全部飼い犬、野良犬ではない。」「バリでは、どこの家でも犬を飼っているが、繋いでいるところは無い」と言う。 「牛は家畜だからエサを与え大きくし、後で人間が食べるが、犬は食べないから大きくならなくても良い、だから犬にはエサは与えない」のが当たり前なのだそうな。
エサを貰えない犬たちは、日がな一日エサを求めて町中を彷徨い、夜になり寝る時だけ自分の飼い家に戻って寝るのだそうだ。 しかし一日中彷徨っても、充分なエサに有り付けないと、ああして夜中でもエサを探し回っているのだと言う。 だからバリの犬はエサが充分では無いので「小さい」、すなわち痩せていると言う事になるらしい。
確かに街中を彷徨っている犬達を見ると小型か中型犬が多いようだが、それ以上にどの犬も一様に異様なぐらい痩せ細っている。 そして、皮膚病でも罹っているのか、毛がまだらに抜けた犬も結構多いようで、ゴア・ガジャで見た子犬もそうだった。
宿泊したホテルのエントランスには、ポリスの制服を着た屈強な男の脇にラブラドールレトリーバが座っていた。 聞けば麻薬犬だとい言い、任務中らしい。 写真は「駄目だ」とポリスに断られたが、「触って良いか」と尋ねたら、「OK」と答えたので前に回って体ごと抱え込んでやった。 おとなしい犬は毛並みもよく色艶も良く、されるがまま目を細めている。何よりも栄養が行き渡っているのかふっくらとしている。 そう言えば、到着した日に見たホテルのゲートにいたシェパードも黒く艶々と輝いていたように見えた。 どうやら、「金持ちのは、デカイ」とは、このことのようだ。
■ キンタマーニ高原
「高原は私たちには寒いところ」、ガイドが首を竦めながら言った。 標高が1500mを超す、昼間でも涼しいと言う「キンタマーニ高原」は、ゴア・ガジャ遺跡からは車で40分程のところにある。 緑濃い田園地帯を過ぎ、道の両側のお店が途切れてくるとやがて道は上りにかかる。 暫く行くと、突然大粒な雨が落ち、車のフロントの視界を遮った。道の行く手には真っ黒な雲が低く垂れ込めていて、登るにつれ雨は益々激しさを増している。ガイドが「高原も雨かも・・」とこぼしている。
「もう直ぐ到着、そこで昼食。」ガイドの声に合わせるように、これまで上って来た山道から外れ、駐車場に滑り込んだ。 とその瞬間を待っていたかのように、不思議なくらいタイミングを合わせ雨が止んだ。 車を降りると物売りが群がってきて、Tシャツやブレスレット、ネックレスなどを下げ「いらないか?」と纏わり付いて来る。 「いらない」と振り払い、建物の前の10段ほどの階段を上ると左手に展望台が有った。
素晴らしい景観が迎えてくれた。 先ほどまで雨を降らせた雲は、切れ切れになり、すごい勢いで流れ、切れ目からは青空さえも見えてきた。 正面のバトゥール山がくっきりと姿を現し、長い裾野をその先のバトゥール湖に落としている。山肌の溶岩の流れた跡が、刷毛で引いたように黒くくっきりと見える。雨に洗われた緑が生き返ったかのように鮮やかに輝き、ひんやりとした冷気が心地良い。
■ アレッ!、何?
暫くこの絶景に見とれ、写真の撮影に夢中になっていた。時計を見るともう30分ほどしか時間が無い。急いで昼食に向う。 この絶景を見下ろすレストランでの昼食は“インドネシア料理のバイキング”だ。 直ぐ横のテーブルに、見なれた顔の日本の若い女性が二人、既に食事をしていた。この二人とはバロンダンスの会場、買物をしたアジアン雑貨の店、その先の銀細工店でも顔を合わせていた。乗り廻る車こそ違うが、どうやら同じ旅行会社の、同じオプションツアーと言う事らしい。中央に設けられた料理テーブルの前で、例の二人連れの女性と一緒になった。先方も我々と同一行程を意識していたのか、お互い軽く会釈を交わす。
(写真はイメージ) そのとき女性の一人が「アレッ」と言って足元を指さしたまま固まった。「何?」ともう一人の女性がその指先を見た。 後ろに付いていた私もつられて料理テーブルの足元を覗き込むとそこには何か小動物の頭が覗いている。 何だろうと思った瞬間、その小動物が正体を現し、突然反対側のテーブルの下に駆け込んだ。 と、その直ぐ後を追うようにもう一匹同じ小動物が駆け込んだ。「ネズミ・・・・」と言ったまま女性は絶句した。
嫌なものを見てしまった。折角今まで「美味しい、美味しい」と箸をすすめていたのに・・・。 すっかり食欲が萎えてしまった。コーヒーとデザートに取り替えて席に戻った。 まだ美味しそうに食事をしている家人に、今見た光景を話そうか、話すまいか逡巡した。「もうデザート?」と言う妻に、「ああ、もう充分・・・」と生返事を返した。ネズミの話は車に乗ってからさりげなくして見よう・・とそのとき思った。
■ バイクのジュース
到着した日、空港からホテルに向うラヤ・ウルワツ通りの両側には、深夜にも関わらず沢山の店がまだ灯りを灯していた。 一般的にバリの道路は、空港に近い幹線道路こそ広々としているが、地方に向うとその殆どが片側一車線となる。 信号機を見かけることは余り無く、車道の幅も日本のそれと比べると、どこも少し狭いようだ。
道路沿いには所々に屋台のような店が立っているが、その前は少し幅のある地道の路肩になっている。 そんな店先には、一様に同じ向きで2メートル四方位の大きさの棚が置かれていて、そこには何やら液体の入ったビンが並んでいるが、よく見るとその大きさ形状は一様ではない。車窓からではよく解らないが、色が薄いので何か、ココナツかパイナップルのジュースのようにも見える。
「あれはジュースか?だったら飲んで見たいのだが・・・」現地ガイドに聞いてみる。 するとガイドは大声を出して笑った。 「あれは、バイクが飲むジュースだ」、話によればバイク用のガソリンを店先で売っていると言う。
キンタマーニ高原からの帰り道、夕方の帰宅ラッシュに遭遇した。 現地の人の通勤は殆どがバイクらしく、余り広くない道路で車に混じって走行する夥しい数のバイクに出会った。 バリではまだ車は贅沢品で一般家庭には普及していないので、通勤や、休日等買い物などに出かけるときは家族を乗せて行くらし。 そのため、バイクはどの家庭にも一台は必ず有ると言うから町にはバイクが溢れている。
「二人乗りは当たり前、四人乗って走るよ」とガイドが教えてくれた。 お父さんがハンドルを握り、その足の間に子供を立たせて乗せる、後ろの荷台にお母さんが子供を抱えて座ると四人乗りと成る。 ツーリングする観光者も多いから、店先で“バイクのジュース”が売られているのである。
■ テガラランの棚田
ウブドの北、8qほどの所にあるテガララン村は山間の小さな村らしい。 そんな村に有り、多くの観光客を魅了するのが世界遺産に登録されている「テガララン・ライステラス(棚田)」で、そこは「神の階段」との異名を取る景観の地である。 谷底のような厳しい地形を開墾して造られた階段状の田圃で、畦には南国らしいヤシの木が何本も植えられている。 米を主食とするインドネシアだが、平野の少ない山間地では、山を切り崩し田圃に開墾するしか方法がない。 此処では古くからこうした田造りが行われいて、そんな人々の素晴らしい営みを間近で体感することが出来る。
棚田の周りにはオープンエアのカフェやレストラン、土産屋さんなどがある。 一面の緑の中で、食事やドリンク、ショッピングなどを楽しむことが出来るらしいが、残念ながら此処では時間の関係で棚田を遠くから眺めただけで、立ち寄ることは叶わなかった。
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